第6章 咲 き 香 る[煉獄杏寿郎]
「杏寿郎様も桜見ているかな」
洗濯物を干す手がつい止まる。見上げた先にある淡い色に、胸がちりっと痛む。
花が揺れる度に甘く爽やかな香りがふわりと香る。春の麗らかな気候の中、焦る私の気持ちとは裏腹に、止まっているのかと錯覚するほどゆったりと時は進んでいる。
空を流れる雲は桜を惜しむかのようにのんびり流れていくし、木の枝に止まった小鳥さえ、桜に魅了されたかのようにじっと春を感じているようだ。
「杏寿郎様、もう満開です」
何をしていても手が止まってしまった。お布団を干せば、陽だまりの香りに杏寿郎様を想ってしまう。お掃除をすれば、冷たかろうと言って雑巾を代わりに絞ってくれる姿を想う。
何をしていても杏寿郎様の面影を探してしまっていて、仲直りできなかった後悔ばかりが募っていく。
でも、たった一つ。料理をしている時だけは心が安らいだ。
杏寿郎様は食べることが大好きだから、料理をしている時だけは私も楽しいと思える。
だから今日もいつ杏寿郎様が帰ってきても良いようにご飯を作ろう。
きっとお腹を空かせて帰ってくるはず。味覚からも春を感じられるものをたくさん作ろう。
煉獄家に来て日も経ち、商店街の人たちとも顔馴染みになった。
顔を出せば、おまけをつけてくれたり、まけてくれたりと可愛がってもらっている。
今日も魚屋のおじさんが、気さくに話しかけてくれた。杏寿郎様の好きな鯛が入った時は、とびきり良いのを取っておいてくれる人。
「はなちゃん! 今日は良い鰆が入ってるよ! どうだい?」
その字の通り春を告げる祝い魚である鰆は、満開の桜にぴったり。西京漬にしようか…幽庵焼きも良いな。
「わぁ! 鰆良いですね! 春らしくて。いただいても良いですか?」
「おうよ! 切り身にしてやっから待ってな!」
切り身にしてもらう間、商店街を見渡せば、恋人達が肩を寄せ合い微笑みながら通りを抜けて行った。
耳元で囁かれた女性は頬を桜色に染め、嬉しそうに目を細める。
幸せそうな二人を見たら、途端に寂しくなって春の風に体をすくめた。
いつもなら、『寒いのか?』と言って肩を寄せてくれるのに。その声も温もりもない。