第10章 涙の向こうに見た青藍の瞳[冨岡義勇]
静寂の中で、自分の声だけが残響のように耳に響いていた。
あんなふうに声を荒げたのはいつぶりか。
怒っているのではない。ただ、抑えられなかった。
あの肌を他の男に見られたと聞いた瞬間、理屈も矜持も吹き飛んだ。
どうしてこんなにも苦しいのか。触れたいのに触れられないもどかしさを拳で握りしめた。
なぜ、こいつの痛みや涙が、自分のもののように感じるのか。ようやく、わかった。
──俺は、はなを慕っている。
気づいた瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。
柱としてでも、同僚としてでもない。ただ一人の男として、はなを知りたいと思った。
「……水柱と呼ぶのはやめろ」
自分でも驚くほど低く、掠れた声が出た。
「えっと……では、水柱様」
「違う。冨岡義勇だ」
名を名乗る。それだけのことなのに、胸がこんなにも熱くなるとは思わなかった。
その瞳が俺を見上げる。
涙のせいで少し滲んでいるが、そこに映るのは確かに俺だ。はなは俺を見ている。
この瞬間、なぜか同じ想いを持っていると確信した。
「義勇……さん」
柔らかい声が、耳に残った己の残響を包み込んでいった。
理性が静かに崩れていく。手が勝手に伸び、頬に触れた。
その肌の温もりに、ついに想いが爆ぜた。
「はな……」
気づけば、唇が触れていた。
唇が離れたあと、俺は我に返った。息が荒い。心臓の音がやけに大きく響く。
はなは、ただ驚いたように俺を見ていた。
堪らなくなった。
震える指先で、彼女の目元にそっと手を伸ばし、手のひらでその視界を覆った。
「……あまり見るな」
見つめられると、心の奥まで暴かれそうで怖かった。
それでも、離れたくはない。
手のひら越しに感じる睫毛の震え。
そのわずかな動きが、俺の理性の糸を危ういものにしていく。
はなが小さく息を吸った瞬間、
もう一度、唇を重ねた。
今度は迷いもためらいもなかった。
触れた唇の温かさが、全身に行き渡るようだ。長い冬の果てに差し込んだ陽だまりのように。
──この恋情は、まだ始まったばかりだ。