第1章 誘 惑 の 媚 香 [煉獄杏寿郎]
いつもなら構わず抱きしめてくる杏寿郎が、台所の入り口から動かない。
『はなさん。俺は…冷静にならねばならんな。』
困った様に笑う杏寿郎が痛々しい。
「杏寿郎様…違うのです。私は抑えられない自分に…腹が立ったのです。それなのに…あたる様な事をしてしまいました。杏寿郎様、ごめんなさい。」
『君が謝ることではなかろう?こんなに素晴らしいおせちを用意してくれていたのだな?それなのに…すまなかった。これを頂いても良いだろうか?とても美味しそうだ。』
杏寿郎がおせちの重箱を見つめている。
しかし、はなはぎこちない雰囲気が、心のすれ違いを表しているようで、居たたまれなかった。
「はい…槇寿郎様と千寿郎君も呼んでいただけますか?」
精一杯の笑顔を作り杏寿郎に向ける。
『あぁ!呼んでこよう!』
背中を見せた杏寿郎からいつもの勇ましさが感じられなかった。
どうしたら…どうしたら…元のように戻れるのかしら。
雑煮がぼこぼこと音を立てて煮えていることにも気付かず考えふけってしまう。
『はなさん!何かお手伝いはありますか?』
千寿郎の声にはっとした。
「あっ、えっと…お重箱を持って行ってもらえるかしら?」
『はい!この栗きんとん、兄上きっと喜びますね!!』
「そうね…私はお雑煮を準備したら行くわね。」
千寿郎は重箱を持って居間へ向かった。
『…と言う訳だからな。こっちは頼んだぞ。』
『承知致しました。』
槇寿郎と杏寿郎が何やら話していた。
千寿郎に気付くと
『千寿郎!おせちだな!』
杏寿郎が千寿郎から重箱を受け取り机に並べた。
『ほぉ。これは見事だ。はなが一人で作ったのか?』
槇寿郎も感心しながら覗き込んでいる。
「はい。一昨日と昨日、夕餉の後に作っておられました。俺も手伝おうとしたのですが、大丈夫と…」
それを聞いた杏寿郎は、尚のこと悪い事をしてしまった…と反省した。
「お雑煮もできましたよ。」
はなが雑煮を持ってやってきた。
これでお正月の支度は整った。
槇寿郎がコホンと咳払いをし、姿勢を改めた。
「杏寿郎、はな、千寿郎。明けましておめでとう。昨年ははなが加わり、賑やかで楽しい年となった。今年も皆で良い年にしよう。」