第10章 涙の向こうに見た青藍の瞳[冨岡義勇]
季節がひとつ変わろうとしていた。
山の風が少し冷たくなり、乾いた空気の香りがする。
私の目の包帯は、もう外してもいいとしのぶ様から聞いていた。
けれどそれを実際に外す日は、なかなか訪れなかった。
何となく、今の生活を手放すことに戸惑いを感じていたからだ。これを外せば、水柱はもうここへくる理由がない──
その日も水柱は、いつものように井戸の水を汲みに来てくれた。変わらぬ日常に安堵しつつも、このままではいけないとの焦りもあった。
これ以上甘えることはできない。私は覚悟を決めて水柱の前に立った。
「水柱……あの、今日……包帯を、外してみようと思います」
「そうか」
「はい。でも……怖いんです。世界が変わってしまったらって」
水柱は何も言わずに私の吐露した想いを聞いていた。
「俺が……外してもいいか」
少しの沈黙のあと、そう言った。
寡黙で、言葉が足りないと言われている彼だけれど、その言葉で水柱の想いの輪郭がはっきりと見えた。
「お願いします」
水柱の指先が、そっと頬に触れた。包帯の端をほどくたびに、布の擦れる音が静かに響く。肌にあたる空気が少しずつ変わっていくのを感じた。
重く覆っていた闇が少しずつ剥がれ落ちていく。
全ての包帯が解けた時、優しい光が瞼を刺激した。
「光が強いだろう。ゆっくりでいい」
彼の低い声が、すぐ傍にある。
恐る恐る瞼を開けた。
光。
柔らかな陽の光が、差し込む。
あたたかくて懐かしい。
ずっと恋い焦がれていたものが、ようやく戻ってきた感覚。
滲んで、ぼやけて、形にならない光の中に、ひとりの人の輪郭が浮かんだ。
「……見えます。ちゃんと、見えます」
声が震えた。
ゆっくりと焦点を結んでいくと、水柱の顔がはっきりと見えた。
真っ直ぐな青藍色の瞳がこちらを見ていて、目の奥から涙が押し寄せてくるのを止められなかった。
世界が変わってしまうかもしれないとの不安は、吹き飛んでいた。
それどころか、再び見た世界は前よりもずっと美しく輝いて見える。
涙越しに見える青藍の瞳。
──あぁ、この人が最初に見える景色で良かった。
そう思った。