第8章 evergreen[不死川実弥]
それから秋がきて、冬がきて、春がきた。そして、実弥さんが二十五になる年の夏がきた。
実弥さんは少しずつ出来ることが減って、少しずつ食べる量も減って、少しずつ口数が減った。
「寿命の前借り」その言葉が相応しいほど自然に体は枯れていった。
それは青々としていた木が長い年月を経て、命を終わらせていくような儚くとも力強い時間だった。
与えられた命を精一杯自分らしく生きる。実弥さんらしい人生の歩み方だ。
「水が飲みてェ」
「はい」
起き上がることのできなくなった実弥さんの口に、口移しで水を流した。唇の端から一雫の水が落ちた。飲み込む力も弱くなってしまった実弥さんは水を一日に二口、三口飲むくらいだ。
「うめぇなァ」
最期は私の顔が見たいと言った実弥さんの目はもうほとんど見えてない。でも、手の感覚と耳を頼りに私に触れる。
頬を撫でて、髪を梳く。私の鼓動を確かめるように手のひらを胸に置いて「はなが生きてりゃ俺は何もいらねェ」と掠れた声で言う。
私はただ、涙を悟られないように実弥さんの手に自分の手を重ねて頷くことしかできない。
不器用で照れ屋で頑固で血の気の多い人だけど、実弥さんは世界で一番優しくて愛情が深い人。
そんな私の愛する人は、最期まで私のことばかりだった。
「……はな、ありがとなァ」
もうほとんど掠れて出ない声で言ったこの言葉が最期だった。
少しずつ減っていた呼吸が穏やかに止まり、まなじりから一筋の涙が流れた。握った手が握り返されることはなかった。
でも、玄弥君たちに会えたのだろう。その顔は穏やかで少し笑っているかのようだった。
薫風が実弥さんの髪を揺らしていった。額の露になった傷にそっと触れてみると、指先に引きつれた傷の感触を感じた。実弥さんは、顔にできた傷に優しく触れられるのを避けていた。「そんな慈しまれるようなもんじゃねェ」と言って。これは私の憶測だけど、顔の傷は…実弥さんが一番最初に鬼を滅した時にできたものなのではないかと思っている。大好きなお母さんを手にかけてしまった戒めとして、この傷と共に生きてきた。でももう何も苦しくないね。苦しくないところへいけたかな。
私はまだそっちにはいけないけど、実弥さんが見られなかった景色を目に焼き付けていくからね。それまで、待ってて。