第8章 evergreen[不死川実弥]
照れくさそうに指で鼻を擦る姿は、兄ちゃんの顔そのものだった。
「今年もたくさんカブトムシ来るといいですね!」
「そうだなァ」
実弥さんが命よりも大切に守ってきた玄弥君は、塵となって消えてしまった。骨の一欠片さえも残らずに。たった一人の残された家族だったのに。それじゃ弔うこともできないじゃない。
私はあの日の実弥さんの背中を忘れることが出来ない。ただ静かに怒りと悲しみに耐える姿は小さく震えていて、指の欠けたしまった手に巻かれた包帯から、滴り落ちるほどの血を流して拳を床に叩きつけていた。何も言葉を発することもせず、ただただ悲痛な音が屋敷に響いていた。
あれから今年で三年目の夏を迎えている。時が解決してくれるとは良く言うけれど、その痛みと少し上手く付き合えるようになっただけで、傷の深さが変わったわけではない。
その証拠に、実弥さんは夜魘される。涙を流しながら『すまねェ』と何度も何度も何度も繰り返す。
そんな癒えるはずのない傷を負いながら、私のことを愛してくれる実弥さんに私は何ができるだろう。
「なぁはな」
「はい」
暗い夜道を歩く途中で、実弥さんはぴたりと足を止めた。
ひぐらしの鳴き声が一層大きくなって、田んぼの水面を撫でていた風はいつの間にか凪いでいた。
人の気配はなく、まるでこの世に二人しかいないような錯覚を覚えていると、夕暮れを知らせる鳴き声をかき分けて実弥さんの声が耳に届いた。
「やっぱりおめぇは……他の──」
「嫌です!!」
人の気配のない田んぼ道に、私の声がこだました。
もう実弥さんの口からそんな事聞きたくない。他の人のところへ行けなんて、絶対に嫌だ。天地がひっくり返っても、この身が裂けても私は実弥さんのそばにいる。
「………怖ぇんだ」
やっと絞り出した声は、ひぐらしの声に消されてしまいそうだった。
「怖い…?」
それは実弥さんが初めて口にした弱音だった。
「おめぇと離れるのが怖くてたまんねェ。はなが俺をどんな顔で見送るのか、考えただけで狂いそうになる。俺はもう涙も拭ってやれねぇのかと思うと気がおかしくなりそうだ」