第6章 咲 き 香 る[煉獄杏寿郎]
──でも、きっと本当は痛かったんだ。
体を屈めてりんご飴を食べさせてくれた時も、射的で的に当てた時も…。
もう一つ連れて行きたいところがあると言って、この宿に抱いて連れて来てくれた時も。
大切な思い出に痛みを与えてしまったような気がして、涙が出そうになるのを必死で堪えた。
「気づかなくて…ごめんなさい…」
思わず出てしまった声は思ったより大きくて、咄嗟に手で塞いだ。
でも、もう遅かった。
「そんな顔をしないでくれ。もう痛みはほとんどない。今日俺は鬼殺隊士でも柱でも長男でもない、一人の男としていられた。ただ君の恋人として桜を見て、祭りを楽しめた。痛みも忘れてしまうくらいだった。だから…はな。笑ってくれ。せっかく君の香りをもらったんだ。この香りに似合う笑顔を咲かせて欲しい」
いつのまにか目覚めていた杏寿郎様が、困ったように眉を下げて俯く私の顔を覗き込んでいた。
そっと目を合わせると、口を塞いでいた私の手を優しく取った。そして流れるような手つきであっという間に私の顎を掬って口づける。ずるい…こんなのずるい…。私に心配する間も与えてくれない。
でも…。
一人の男としていられたと穏やかな顔をして言う杏寿郎様は、どこにでもいる青年のような雰囲気を纏っていた。
常に鬼殺へ真剣を向けている杏寿郎様は、琥珀色の瞳の奥に切先のような鋭さを持っている。この方はやっぱり鬼殺隊の柱なのだと畏怖を感じるほどの鋭さを。
でも今日は、その切先が鞘の中に納められたかのように見当たらない。
鬼殺に怪我はつきものだ。けれど柱ともなるとかすり傷すら負わずに任務を終えることがほとんどだ。
だからこそ、杏寿郎様が怪我をする時は相当深いものになる。
肩口に貼ってある綿紗の下だって、本当は包帯ぐるぐる巻きにしなきゃいけない抉れるような傷のはず。
でも杏寿郎様はそんな傷を負っていても、一人の男でいられたと笑って見せる。だから今日は私も炎柱の恋人ではなく、ただ煉獄杏寿郎の恋人として隣にいよう。涙は引っ込めよう。
「杏寿郎様! 明日の朝はお散歩しましょ? それから、昼餉を食べたら、行き損ねたお芝居を見ます。お土産に桜餅を買って…しのぶさんのところへ行って処置してもらいます!!」
「むっ…今日行くのか? 任務明けの日ではだめなのか?」
