第4章 桜の頃までそこにいて
子どもでも、職人のおじさんでも、うちの職場のセクハラ上司でも。
そうだ…忘れていたけど、あの受付の女の人のことも。
清瀬さんは誰に対してでもフラットだし、きっと人を惹きつける魅力のある男性だ。
私だってそう。
始めは清瀬さんの言動に戸惑うばかりだったけど、いつの間にか心を包まれ、そして惹かれていた。
大事な言葉、言いそびれちゃったな…。
「風見さんのおかげで怪我をせずに済んだな」
「間に合って良かったです」
「さっきみたいに咄嗟に走り出さなきゃならない時、俺の脚は素直に言うことを聞いてくれないんだ」
「……」
「陸上ができなくなったことに後悔はないが…もう少し融通の利く脚だったら良かったのにな」
いつも快活で自信に満ちている清瀬さんの表情が、今はどこか寂しそうに見える。
これまでも、人知れず瞳に影を落とすことがあったのかもしれない。
「ごめん、独り言だ。帰ろうか」
「……清瀬さんは、私を助けてくれましたよ」
踵を返す背中に向かって呼び止めた。
沢山の言葉と笑顔が、陽の光のように向かう先を指し示してくれて。
仄暗い渦に沈みそうだった私を、二本の腕で抱きしめてくれた。
卑屈な心を落ち込む暇がないくらい掻き乱してくれたのも、清瀬さんだ。
「ゆっくり一歩ずつ歩くのも大切な時間だって、そう教えてくれたのは清瀬さんです。清瀬さんとリハビリ始めてからは、元彼のことを考える時間も明らかに少なくなったし。最初は強引な人だと思って、ちょっと引いたこともありましたけどね」
右膝の後遺症とは、この数年で散々向き合ってきているはず。
それについて私が想像を膨らませて励ましたところで、その言葉は薄っぺらくなりそうだった。
だから、私の身に起きた真実だけを伝える。
慰めや同情などではなく、私にとっての清瀬さんは間違いなくこういう人なのだ。
「……。ぷっ…、はははっ!引かれてたのか…!正直だなぁ!うん、わかった。ありがとう」
私の意図を汲んだのか、清瀬さんは堪えきれない声とともにそう言って笑う。
清瀬さんの顔に、また明かりが灯った。