第1章 One Night…?
「ああ、そうなんです。ずっと長距離をやっていたんですが、膝を二回も壊してしまって。選手として走ることができたのは、大学まででした」
清瀬コーチは私の質問に嫌な顔ひとつせず、あっさりとそれに答えてくれた。
「そうですか…。よかったらうちでマッサージとか整復、しましょうか?」
「ありがとうございます。でも日常生活に支障を来すようなものではないので。選手を優先してやってください」
以前からわかっていた。
この人は、本当に陸上が好きなのだろう。
選手たちがこの先も長く走ることができるように、細心の注意を払いながらトレーニングを組み立てている。
それは、自分自身の経験からくるものだったのだ。
目の前のビールを飲み干したあと、清瀬コーチは言った。
「今は選手の育成が新たなやり甲斐であり、夢でもあるので。毎日楽しいですよ」
「確かに楽しそうですよね、いつも」
「え。そんな風に見えてました?」
「はい。陸上が大好き、って顔に書いてあります」
「何か恥ずかしいなぁ」
目を細くしてクシャッと笑う表情はあどけない。
アルコールのせいかな。いつもより笑顔が無防備というか。
清瀬コーチとの会話を楽しみ始めた私は、それから数杯お酒をお代わりした。
デリカシーの欠如したオジサマたちは自分たちだけで盛り上がっているし、二人で飲むこの空間は実に平和だ。
「風見さん?飲み過ぎた?」
「まだいけます!清瀬さん、ここ終わったら2軒目行きましょ!」
「いいけど。だいぶ酔ってない?大丈夫かな」
「大丈夫です!あ!カラオケもいいかも。清瀬さんとカラオケ行きたいなぁ。いつも何歌うんですか?」
「うーん。付き合いでしか行ったことないけど、歌うとしたら…」
目大きいなぁ…クルクル変わる表情がワンコみたい。
あの人に似ている…最近よくドラマに出てる…名前なんだっけ?うー…思い出せない…。
そう言えば清瀬さん、ジャージのままだ。違和感なさ過ぎて今頃気づいた。
え?もしかしてこの人、ジャージで通勤してる…?そんなわけないか…。
まぁいいんだけどね、別に。人の格好なんて。
ていうか、さっきからどうでもいいことばっかり考えてる気がする。
あー…これ酔いが回ってきたんだ、きっと…。