第3章 曙の空、春の海
夜明け前の街はまだ仄暗く、駅へと続く道中すれ違ったのは、犬を散歩する男性が一人だけ。
ヘッドライトを灯した乗用車が、時折私たちを追い越して行く。
風がないので思ったよりも寒くはない。
ただこの時間帯では、春と言えども温もりはない。
私はコートのポケットに手を差し入れながら。
清瀬さんはマフラーに顔を埋めながら。
ゆっくりゆっくり、海沿いの道を歩いた。
海原はまだ不穏な色をしている。
さざ波とともに吸い込まれてしまいそうな……。
太陽がいないだけで、昼間に見る海とは全く顔が違う。
「すみませんでした。結局朝まで付き合わせてしまって」
「大丈夫。今日は休みだしな」
「あんまり寝てないんじゃないですか…?」
あれから私はすぐ眠りについた。
そして次に目を覚ました時、清瀬さんは意識を手放す寸前に見たままの姿勢で、雑誌を読んでいた。
普段から疲れた様子を見せることはない人だ。
例え睡眠不足だとしても、それを私に悟らせないような振る舞いはきっとできる。
「俺のことはいいよ。風見さんは?少しは休めた?」
「はい。おかげさまで」
「そうか、よかった。この辺りはロード練習に良さそうなコースだな」
「え?ああ、そうですね」
車道と歩道の間にはガードレールが施され、更には走るための道幅も十分。
平坦な道を歩いてきた私たちは、丁度ゆるやかな傾斜の坂に差し掛かかるところ。
潮騒と、風に乗ってやって来る海の香り。
太陽が姿を現せば波間には光の帯が煌めくことだろう。
確かに、ジョグには良さそうなコースだ。
「清瀬さんて、いつも陸上のことを考えてるみたい」
「そうか?」
「今朝だって私が起きた時、陸上の雑誌を読んでたじゃないですか」
「ああ。あれは別に、読みたくて読んでたわけじゃない」
「何ですか、それ?」
「君と一夜を共にしているのに、冷静でいられるとでも?」
「…っ!い、一夜とか言わないで…」
「しかも二度目だしなぁ。理性を試されてる気分だったよ」
つまり、気を紛らわせるために雑誌を開いていた、と。
「何かすみません…。重ね重ね…」
「まあ、それは半分冗談だけど…」
暗がりに浮かぶ清瀬さんは、"冗談" と言いつつそうではなさそうな表情で、先を続ける。