第3章 曙の空、春の海
「不謹慎かもしれないが、風見さんが俺を頼ってくれて、嬉しかったよ 」
清瀬さんは足を止めた。
一度だけ私を見ると、その視線は僅かに白み始めた水平線の向こう側に投げられる。
「世の中君を傷つける男ばかりじゃない。一緒にいて幸せだと思える相手は、きっといる」
「……それが清瀬さんだ、って言いたいんですか?」
「さあ?それはわからん。幸せかどうかは、風見さんが心で感じるものだからな。ただ…」
「?」
「俺は、君を裏切ったりはしない。約束できるのはそれだけだ」
この先の関係が変わっても変わらなくても、清瀬さんは信用できる人。
わかっている反面、恐怖心が足を竦ませてきた。
私を知られるのも、清瀬さんを知ることも、勇気がいる。
もし次に傷ついたら、本当に立てなくなりそうで怖かったのだ。
私の脆さを見抜いているかのように、穏やかに淡々と、波のリズムに乗って言葉がやってくる。
「きっと風見さんの心の中は、曙の空みたいなものなんだと思う。
薄暗くて、周りがはっきりとは見えていない。
でも僅かな明かりが降りてきているから、目指す方角だけはわかってる」
日の出前の今の明度では、うっすらとしか景色を捉えられない。
けれどもこのまま道を辿り、自分の足で駅まで歩いて行くことはできる。
私の心は、曙の空……か。
「世界には、美しい場所が必ずあるよ」
「……はい」
その場所まで連れて行く、とは言わない。
一緒に行こう、とも言わない。
私の手を握って、無理にここから進ませようともしない。
清瀬さんはきっと、私から一歩踏み出すまで待っていてくれる。
私は、私を変えたい。
綺麗な景色を見に行きたい。
心から信頼できる、大切な人と。
もう十分、足踏みはした。
そろそろ動き出す勇気を持たなくては。
群青、青、紫、白、オレンジ―――。
空にグラデーションが広がり、清瀬さんの顔が徐々に浮かび上がる。
顕になっていく太陽が、その瞳に光を集める。
いつもより数倍煌めいた丸い双眼は、まるで私を導く道標に見えた。