第3章 曙の空、春の海
私を裏切ったこの人を恨む気持ちと、この人に選ばれた女性を恨む気持ち。
そしてそんな思考に囚われたままの、あまりにも惨めな自分。
胸の中で色々な思いが勢いよく交錯して、呼吸が速く、浅くなる。
泣かない。
絶対絶対泣いたりしない。
あの人のために流す涙なんて、もうない。
心臓がドクドク煩い。
黒い感情に侵された私は、喉の奥から込み上げてくる衝動を自制するのに精一杯だ。
早くここから立ち去りたい……!
倒れてしまいそうなほど、呼吸が整わない。
その時、力強く手を握られた。
「……き、よ、」
「行こう」
あの人たちよりも先に店を出て、駅とは逆の方向へ進んでいく。
足早に半歩先を行く清瀬さんは、声ひとつ出さない。
握ってくれたこの手だけが、今の私にとってたったひとつの支えだ。
「ごめん。勝手なことをした」
清瀬さんは私に背を向けたまま足を止め、地面に視線を落としている。
そして少しの空白のあと…
「帰ろうか」
涙が堪えられなくなるくらい優しい声で、そう言った。
泣かない、泣きたくなんてない―――必死にそう言い聞かせなくてはならない時ほど、些細なきっかけで脆く崩れ落ちてしまうものだ。
「……っ」
時に強引に私の中に踏み込んでくる清瀬さん。
お弁当持参で通い妻みたいなことだってするのに、こういう時は心に寄り添ってくれるんですね、あなたは。
緩急の着け方が本当に狡い。
こちらに向きかけた顔が私の涙を捉える前に、繋いだままの手に力を込めた。
「見ないで…」
こんなにみっともなくて惨めな私、見られたくない。
「……ああ」
短く答えただけだった。
泣いているのはお見通しなのに、理由を聞こうともせず、慰めようともせず、黙ったまま背を向けてくれている。
元婚約者が憎らしい。
私を切り捨てて、のうのうと幸せそうにしているあの男が。
涙が込み上げるとともに、黒いドロドロとした考えまでもが沸々と湧いてくる。
自分が怖い。汚い。
私、こんな人間だったっけ……。