第3章 曙の空、春の海
私の視線に気づいたのか、清瀬さんが顔を上げた。
「どうした?」
「……いえ。清瀬さんまだ居ます?私、午後の準備があるのでそろそろ…」
「ああ、そうか。それなら俺も」
そう言って立ち上がった拍子に、背もたれに掛かっていたジャケットがはらりと床に落ちた。
右膝を気にする素振りで腰を曲げようとする清瀬さんを見て、咄嗟に手を差し出す。
「あ、拾います」
「え?」
「「…っ!」」
ゴツン、という鈍い音が静かな空間に響く。
私が勢い良く屈んだせいで、お互いの額を強くぶつけてしまったのだ。
「〜〜…!」
痛い…!私のバカ…!
完全に余計なお世話だった…。
「ごめんなさ…」
謝らなきゃ、と思ったと同時に額に何かが触れる。
すぐ目の前には、私の前髪を掻き上げて顔を覗き込んでくる清瀬さんがいた。
「ごめん、大丈夫だった?」
焦ったような表情を見せながら、ゆっくりと手が動く。
額に触れた指先は優しくそこを行き来し、痛みを鎮めるかのように数秒の間撫で続けた。
「あー…少し赤いな。職場に戻ったら…」
額から私の瞳に視線が下りてきた途端、清瀬さんの声は途切れる。
私を見つめる丸い両目が、一周り大きくなった。
どうしよう…どうしよう…。
絶対、顔真っ赤…。
自分でもわかるくらい、熱が上へ上へと昇ってくる。
「すまない。他意はないんだ」
清瀬さんは額から手を離し、私から距離をとる。
「……わかってます」
わかっているからこそ、恥ずかしい。
清瀬さんが怪我の心配をしてくれている側で、私の意識は別のところに飛んでしまっていて。
しかも、それを見透かされた。
時々無遠慮に踏み込んでくるのに、この人は私の体に触れるようなことは一度しかしていない。
懇親会の時、公開処刑にも似た仕打ちを受けた私を、上司たちの輪の中から手を引いて逃してくれた。
あの時、一度きり。
頭を撫でるとか、ふざけたノリで肩を抱くとか、そういうこともしない人。
そんな清瀬さんが、こんな触れ方をするから……。
「ありがとう。膝のこと、気にかけてくれて」
「いえ…。それよりすみません。清瀬さんこそ大丈夫ですか?おでこ」
「俺は大丈夫。石頭なのかもな。後で冷却シート貼っておくといいよ」
「はい」