❁✿✾ 落 花 流 水 小 噺 ✾✿❁︎/イケメン戦国
第9章 龍は一寸にして昇天の気あり
「ありがとうございます、光秀さん」
「ん……?」
「今年も、家族揃って豆まきが出来ました」
凪が不意に紡いだ礼は、単に光秀が機転を利かせて掛け声を変えさせたから、という意味ではない。凪の穏やかな声色の中に、深い安堵を見つけて男がその腰を優しく抱き寄せる。
「礼を言われる事は何もない。家族を守るのは、夫や父として当然だろう?」
「おにはーうち!ふくもーうち!あにうえもーははうえもーうち!」
口元を綻ばせた光秀に対し、凪は何かを言おうとして、しかし飛び込んで来た光鴇の掛け声を耳にすると、思わず鈴を鳴らすような笑いを零した。細い肩を微かに揺らしながらくすくすと笑う妻を穏やかに見つめ、その額へかすめるように口付ける。
「家(うち)へ帰るのは鴇だけではないらしい」
「おにはーうち!ふくもーうち!ちちうえもーみっただもーうち!」
「ふふ、そうですね。でも、豆じゃないのに花が咲いちゃうの、やっぱりちょっとズルだったかな」
明智家に蒔かれた豆は煎り豆ではない。もしこの豆と称した種に芽が出て花が咲いたとして、それは約束を果たした事になるのだろうか。ふと何気なしにそんな事を零した凪へ、光秀がいつもの調子で口角を持ち上げる。
「この程度の嘘など、世にごまんと隠された偽りに比べれば可愛いものだ」
「じゃあ、頑張って誤魔化さないとですね」
「その辺りは俺の得意分野だ。子らが蒔いたものは煎り豆だったと、舌先で上手く言い繕うとしよう」
「何か、光秀さんなら本当に出来ちゃいそうかも」
「腕の見せ所だな」
冗談めかしたやり取りを交わしながら、夫婦が楽しそうに笑った。庭先では存外少しずつ煎り豆ならぬ、種を蒔いている息子達の声が明るく響く。
かつて、一年の始まりは睦月の朔日ではなく、如月の三日────即ち立春の節分だったという。厳しい冬を終え、春に向けて季節が少しずつ移り変わろうとするその吉日に、愛しい家族の穏やかな笑い声が響く幸福は、何度味わっても味わい足りない。
そうして、光秀と凪は息子達の呪(しゅ)を払う掛け声を聞きながら、いつか沢山の青々しい芽が出る庭先を思い描いていたのだった。
了……?