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❁✿✾ 落 花 流 水 小 噺 ✾✿❁︎/イケメン戦国

第9章 龍は一寸にして昇天の気あり



四季が存在するこの日ノ本は、遥か昔からそれぞれの季節の境目を心から尊ぶ習慣があった。四つの季節の節目とは即ち立春、立夏、立秋、立冬であり、凪達が生まれ育った現代でもその呼称は残されている。

てっきり二月三日だけが節分かと思いきや、そうではなかったという事へ内心驚いた凪を余所に、他の者達はそれを当然の如く受け入れていた。五百年の間に廃れたもの、忘れ去られたものが多くある中、乱世に生きる人々にとってはそういった知識が、至極当たり前の認識だったのだと再確認させられた心地だ。

「立春の節分には、お前達は何をする」
「とき、まめまき、する!」

顕如の問いへいの一番に反応したのは光鴇であった。凪と光秀、そして光臣が互いに顔を見合わせてはくす、と音もなく笑い合う。家族が来ているからそうなのか、あるいは普段から何かと積極的に話す性質(たち)なのか、おそらく後者であろう幼子の姿へ凪が微笑ましい気持ちになった。光鴇が声を発したのを皮切りに、農民や商家の子供達が積極的に発言をして行く。

「豆まきは室町幕府三代将軍、足利義満の世に始まったとされている。だが、立春の節分に魔を払うという習慣は遥か昔、平安の世から存在していた。追儺(ついな)と呼ばれる宮中行事がそれだ」

追儺(ついな)とは簡単に言えば、土人形や土牛を都の四箇所の大門前へ置き、邪気を払うという儀式の事だ。それ等の儀式、行事がやがて少しずつ変化していき、皆が知る豆まきへと変わっていったという。現代のようにある程度基準を同じくした教育を施す制度のない乱世では、人々の間に明確な知識の差が生じている。

それは出自によって顕著であり、農民の家族や商家の者達は、子供達と同じく顕如の話へ真摯に耳を傾けていた。無論、凪としてもこれまで当たり前のように豆まきという習慣を行って来た事もあって、その起源などには純粋に興味がある。

「では何故、立春の節分に豆をまくようになったのか、それを紐解くとしよう。その前に、これから語るひとつの伝承を頭に入れておくといい」

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