❁✿✾ 落 花 流 水 小 噺 ✾✿❁︎/イケメン戦国
第9章 龍は一寸にして昇天の気あり
およそひと月程前から知らされていたそれの日程をあける為、ここしばらく光秀は特に忙しくしていた、という背景があった。凪も日程に合わせて非番をもらっており、光臣も新兵指導をしている慶次が気を利かせて休みにしてくれた為、全員揃って光鴇が学問所で過ごしている姿を見に行く事が出来る。
「明日が楽しみです」
光秀が多忙である事は子供達も十分理解していた。故に光鴇も、父が自身の公開手習いへ来てくれるのかという不安を抱えていたのである。彼の事だから余程の事情がない限り、光鴇の為に仕事を詰めて時間を作るのだろうなとは思っていた。しかし不確定な事を光鴇に告げて下手に期待させる訳にもいくまいと、凪自身も極力口を閉ざしていたのだ。
明日の朝は一番に幼子の嬉しさに弾けた笑顔を見る事が出来るだろう。そう考えると、凪の声も自然と明るくなった。応えるかの如く微笑を乗せた光秀が、金色の双眸をそっと眇めて短い相槌を打てば、彼女は一番大切な事を未だ伝えていない事に気付いてそっと身体を向き直らせる。
「遅くなったけど、お帰りなさい。光秀さん」
「ああ、ただいま」
今度は自ら両腕を光秀の首裏へ回し、正面からきゅっと抱きついた。壊れ物を扱うように凪の背へ腕を回した男が、柔らかな熱を抱いて内心で密やかな安堵を零す。酷く冷え込む睦月の夜だというのに、身を寄せ合っているだけで暖かさで満たされているような心地を抱き、暫し二人で穏やかな抱擁を交わした。そうしておもむろに光秀が顔を上げ、正面にある妻の顔を軽く覗き込む。
「それで、お前は何故物憂げな顔をしていた」
「あ……そ、それは……」
やはり抜け目のない男というべきか。光秀が帰宅するまで考えていた事が、思い切り顔に出ていた様を目撃されていたようであった。そういえば部屋へ立ち入って来た第一声の時点で見抜かれていたな、と内心苦笑を漏らすと、僅かな逡巡を見せる。光鴇の件を、光秀へ明かすべきかほんの一瞬だけ迷ったのだ。