❁✿✾ 落 花 流 水 小 噺 ✾✿❁︎/イケメン戦国
第8章 水魚の交わり
魚が水の中以外では生きて行けないように、自分にとって凪という存在が欠けては生きていけない程の相手なのだという事を、ふとした瞬間に思い知る。浅く吐息を溢し、書簡へ意識を再び向けようとした拍子、閉ざされた襖が静かに開かれた。
「お待たせしました。ちょっと厨で厨番の人達と今日の夕餉の材料についてお話してて」
「夕餉はお前が作ってくれるのか」
「はい!久々ですし、気合い入れて作りますね!」
「そうか、それは楽しみだな」
明るい表情を浮かべた凪を見る限り、彼女のお眼鏡に適う食材でも用意されていたのだろう。弾む声色で返事をする様を見やり、光秀が本心を述べた。興味のない食事を楽しみと言えるのも、ひとえに彼女が手ずから作ってくれるお陰だ。光秀の傍へと腰を下ろし、盆を傍らに置いて湯気の立つ湯呑茶碗を渡して来る。
「どうぞ、熱いから気を付けてくださいね」
「ああ、ありがとう」
凪が机上へ置いてくれた湯呑茶碗を手にし、それを軽く傾けた。適度な熱さは保っているものの、飲めない温度ではないそれが、喉をじんわりと暖めながら滑り落ちて行く。その心地良さすら感じる暖かさは、何処か凪に似ていた。魚と同じで、人も水を飲まなければ生きてはいけない───欠けては生きていけないもののひとつだ。当たり前の如く享受しているすべてが、改めて見返す事で、とても尊いものに思える。
「茶の濃さが普段とは少々違うように感じるが、茶葉を変えたのか?」
「凄い!実は秀吉さんにいい茶葉を貰ったんです。光秀さんが帰って来たら一緒に飲もうと思って、取っておきました」
(茶葉が変わったところで、違いなどさして分からない俺など待たず、先に飲んでいれば良かったものを)
嬉しそうな笑顔を浮かべる凪の姿に、内心で肩を竦めた。光秀の舌が味わいという感慨を抱かない事など、彼女は当然承知の上だ。それでも健気に自分を待っていた凪を、やはり何処までも愛おしいと思う。