❁✿✾ 落 花 流 水 小 噺 ✾✿❁︎/イケメン戦国
第3章 世の中は九部が十部
──────────────…
「どうして家康様はあんな女に優しくなさるの…!」
聞こえて来たのは金切り声に近い、聞くに堪えない女の醜悪なそれだ。廊下で凪とすれ違った後、足を向けたのは件(くだん)の姫が安土城滞在に際して与えられた離れの棟(むね)。城下町もさる事ながら、安土城内においても俺が知らない抜け道や死角はほとんど無いと言っても過言ではない。伊奈家に仕える護衛の兵達の穴を掻い潜り、難なく姫が身を置く居室の傍まで向かうと、まだ障子前に辿り着いていないにも関わらず、癇癪を起こした子供のような声が聞こえて来て、そっと音も無く肩を竦めた。
(鉢合っては勘繰られると、少々刻をずらしたがどうやら正解だったらしい)
既に凪は姫へ薬を届け、再び調薬室へ戻った後のようだ。離れの棟は比較的静かな場所であり、要人や客人をもてなす場としても使われる事から、庭先は常に四季折々の姿を見せる事が出来るようにと整えられている。足音もなく、気配すら絶ったまま志乃姫の部屋の出入り口にあたる障子、その傍の柱へ身を潜め、そこへ軽く背を預けた。
「しかも光秀様とは既に許嫁の仲だって言うじゃない……なのに、どうしてあんな……」
「姫様、どうか落ち着いてくださいませ。凪様は織田家所縁の姫様です。滅多な事を口にしてはなりません」
「どうせ誰も聞いてないわ。お前が黙っていればいいだけの事よ」
「姫様……」
(やれやれ、予想はしていたが、とんだ化けの皮を被っていたというわけだ)
姿こそ見えはしないが、志乃姫がどのような表情で癇癪を起こしているのかが容易に想像出来た。姫は家康に想いを寄せている。調薬室で顔を合わせた時から少々引っかかりを覚えていたが、やはり間違いはないようだ。
女というのは殊更好いた男の事となると妙に勘が働くもので、家康の凪へ向ける感情に気付いてしまったのだろう。最初こそ同じく家康に師事している存在として敵対心を抱いていたが、向けられる感情が恋慕だと気付き、妬心(としん)がいっそう湧いたといったところか。