❁✿✾ 落 花 流 水 小 噺 ✾✿❁︎/イケメン戦国
第3章 世の中は九部が十部
(……凪を案じていると言いながら、結局この娘を求めていたのもまた、俺自身だったという事か。やれやれ……)
理性にはそれなりに自信があったというのに、凪の前ではそれもどうやら形無(かたな)しらしい。ひくりとも動かない、伏せられた長い睫毛が朝陽を浴びて艶を増す。白い肌と貫庭玉(ぬばたま)の黒が彩度を鮮明にさせ、飽きる事なく視線が惹きつけられた。閉ざした障子窓の向こうからは、容赦なく目覚めを促す光が注いで来るものの、未だ凪を眠りの淵から呼び戻したくはない故に、俺は腕枕にしていない方の片手を静かに娘の目元へ翳し、光を遮るようにして影を作る。
(気休め程度にしかならないが、無いよりは幾分ましだろう)
恐らく時分としては七つ半(5時)頃といったところか。鳥の囀りが聞こえ、遠くで家臣達が朝の支度をしている音が微かに聞こえて来る。常に全神経を研ぎ澄ませて過ごす日常は、仮に御殿内であってもさして変わりはしない。敵味方問わず、俺を恨んでいる者はごまんと居る。とはいえ、自身の命の危機を懸念している訳ではない。この腕の中に居る愛しい連れ合いに危険が及ばぬよう張り巡らせた神経が、家臣達の日常的な動きを捉える事は決して珍しい事ではなかった。
(……だがそれとは逆に、お前と共に居るからこそ安らぐのも事実だ)
尖らせた神経を解く事はそうそう無いが、この娘と共に居るひとときにのみ得られる安寧もある。こうして何気ない朝に、凪の寝顔を眺めている事で心身が癒やされている事実は、隠しようもない。目元に翳した片手で、そっと前髪を梳いてやる。出会った頃より伸びた髪は、凪の希望で少し前に整えてやったばかりだ。指通りの良い感触に目を眇め、そうして暫しこの世でもっとも安らぐ場所で、凪の寝顔を存分に堪能した。
(……さて、心苦しいが凪を起こすとしよう)
今日は特に遠出の予定も無く、二人揃って登城する事になっている。凪はいつも通り調薬室に向かい、俺は城内外で公務を行う。