第5章 秋影に時雨る心、声は見えぬ漣となりて
「亮十郎…。ありがとうございます。でも、父上があってこそのわたしだったのだから、見捨てる事なんてできないの」
「えぇ。父上は母上とともに、姉上に献身的にしてこられました。しかし、もう…十分ではありませんか…」
両肩を強く掴まれて、懇願するように亮十郎は言う。
強く向けられた眼差しと震わせている声に、どれだけ心配をかけているのかを思い知らされる。
だからとて、千鶴の意思は固く、ここを出る気はない。
「亮十郎。戻りなさい。父上が誇ってらしたあなたを貫いてください」
「しかし、しかし…」
「わたしは大丈夫です。わたしが決めたことだから」
亮十郎は、冷静な千鶴が穏やかな声で自分をなだめて諦めさせようとしてるのを感じた。
「どうしても…というのですか?」
「わたしの気持ちは変わりません」
「では、私が聞かされた話を聞いてはくださいませんでしょうか?私がこちらに赴いたのも、その話を聞いたからでございます」
何かを感じた千鶴は、亮十郎を居間に上げて、茶を用意した。
不動のまま、肩を震わせてどうしたのだろうと思いながら、亮十郎の前に腰を据えると、大きな息を一つついて口を開く。
「父上が…姉上を売るという話を耳にしました。おそらくは姉上に黙っている分の借金があるのかと…」
「では、私は逃げるわけにはいきません」
「なぜです…!!」
「女として生まれたからには家を守るために、務めを果たすのが本望です。」
「もうここは、私たちが生まれ育てていただいた家とは違います」
「父上が母上の事で悲しみ憂いて周りが見えないのは、それは最大の母上への愛であり、まだそれが立ち直られていないからだと思うのです。
だから、父上の思うまま、悲しみに浸り続けて欲しい…。」
千鶴の心の核心に迫ったような強い口調に、亮十郎は次の言葉を出すことを忘れた。
何かしら、いくつかの要因が、姉をこの家から離さないんだと思った。
この状況を変えるのは亮十郎ではないとわかった瞬間、肩を落とすことしか術がない。
「ごめんなさい…。不器用で諦めが悪いとお思いでしょう」
「いえ…。」
亮十郎は、力なく立ち上がり、ふらりと部屋を立ち去ろうとする。
それを止める事もまた、弟への罪悪感から足も口も動かすことが出来ず足音を聞くことしかできない。