第3章 痣の人
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数年前、偶然この娘が崖から転落するところを助け応急処置をし、娘の母親と思わしきものへと託したことがあった。
その日、あの娘にくっきりと私と同じ痣があったのを確認した。
”生まれ持っての剣の才覚がある者”とすれば、あの忌まわしき弟への身が朽ちるほどに燃え滾る憎悪が起きるはずなのに、
この娘に関してこの上なく愛おしく思うのはなぜであろう。
全身に打撲痕、切り傷、落ちた衝撃で意識を失っている娘。
吸い寄せられるように頬を撫でては、額に、こめかみに、そして頸筋に触れるだけの口づけた。
鬼とあろうものが、何をしているのか
そんな考えが過る事もなかった。
それに気づいては、このような浅ましい行為に至った経緯を考えるに、今までこの娘を見守ってきた過去を思い返した。
この娘に魂で惹かれているのだと気づいたのはその時だった。
ほんのりと香しく”稀血”の匂いがしても、血さえ飲む気になれなかったのは
頸筋に目がいったときに僅かに感じた脳裏に映し出される血濡れた女の姿。
傷つけたくなかったのだ。己の犬歯で。己の刃で。
生きていて欲しいと思ったのだ。鬼であるにも関わらず。
”生身の人間”であるにも関わらず。
己の顰めていた人間の部分が出ることを恐れ、この娘を家へと届けた。
「千鶴!!」
母親であろう女が娘をそう呼んだ。
そこで、せき止めていたはずの人間の頃の記憶がなだれ込み
娘が誰であるか
何故、己の魂が反応し、娘に惹かれたのかを思い知る。
嗚呼...何故、今ここに......。
気付けば、女の視線が娘に逸れた刹那
わたしはその場を離れたのだ。