第10章 氷
「あんたが出て行ったから、あの人は死物狂いで探していたわよ。この家の財産使い切るのかってぐらい叩いて。全国探したけど見つからなくて、ついに身体を壊したのよ。あんたの名前を譫言のように言い続けて、今年の始めに亡くなったわ。」
継母はまるで暴言を吐くように言ったが、心がもうボロボロになっているのが見えた。
母が亡くなった頃の父のように。
それから、泣きながら家の中へ行ってしまい、何か紙を持って戻ってきて私にくれた。父の遺書だという。私に宛てたものだと。
なぜだか怖くて読めなかった。でも必ず読みなさいと継母は言った。
それから家を後にするときは、辛く当たってごめんなさいと小さな声で言っていた。
あの人に対しては不思議と怒りも憎しみもない。いつも可哀相な人だと思っていたから。それをあの時分かち合えていたなら、今頃はもしかしたら…。
私は返事をしなかった。
遺書を懐にしまって、今度は母たちの眠る墓地へ向かった。西洋のそれを真似て大きな墓石に英字で名前が書かれている我が家のお墓に、父の名が追記されていた。
みんな向こう側へ行ってしまったと、ようやく認識した。
私はここに一人きりで、どうしたらいいのだろう。
いつも誰かに頼ってしまったから、生きるには何をしたら良いのか分からなかった。考えられなかった。きっと生きる気力がなかったせいだ。
私はそのまま墓の前で一晩過ごした。その後は育った町をゆっくり眺めて歩いて、ふと気がつくと港にいた。
その日は大きな船が何隻も停まっていた。
波の音と、忙しそうに働く船乗りの足音と、カモメの鳴き声。変わらない音と景色にどこか安心した。
港の端に小さな船用の桟橋がある。
その先に立って海の向こうを眺めた。母の生まれた国はどのくらい遠くにあるだろう…。
私は懐から遺書を出した。開くのは怖かった。でも開けば父が話しかけてくれると思い、ゆっくりと広げた。
ほとんどは私への謝罪と無事を祈る言葉だった。
それと、会社は知人へ渡したが、次は私に来るということ、母との思い出あるものは倉庫で保管しているが鍵が見つからないこと、家は継母に譲ったこと、私が嫁ぐ時のために貯めていたお金が銀行にあることが書いてあった。鍵は英国の事務所にあるかもしれないので誰かに頼んで持ってきてもらうようにともあった。
私は手紙を閉じてまたしまった。
海は変わらず揺れている。