第26章 宵闇と朝焼け
風音が意識を手放してすぐ。
握り締めた手から一気に悪寒が駆け巡り、全身から嫌な汗が噴き出した。
「嘘だろ……おい、風音。なに呑気に寝てんだよ……今は寝ていい状況じゃねェって分かってんだろォ!」
平常時ならすぐに返事をするのに、今は返事はおろか、手を握り返してくることすらない。僅かに胸が動いているので生きているが、いつ動きを止めてもおかしくないほど微弱な動きだ。
「なァ、何でも叶えてやるから……目を開けてくれ。せめて握り返してこいよ」
実弥の目の奥と胸に鋭い痛みがはしり、視界がボヤけていく。
こんなに胸が痛むのはいつぶりだろうか。
匡近を看取り、遺言を目にした時か。
しのぶの姉が鬼に命を奪われた時か。
それとも、塵となりゆく母を見ていた時だろうか。
どの出来事も実弥の胸に痛みをもたらす出来事であったことに違いなく、今のこの状況は実弥の胸を更に深く抉るものだ。
「何で反応しねェんだよ……おい、風音は目ぇ覚ますよなァ?」
涙が零れる瞳に映したのは、今し方風音の傷の処置を終えた愈史郎。
目の前にいるのが鬼である愈史郎だと気が付いたのは、風音が懸命に特徴を伝えてくれていたから。
だから鬼であっても、愈史郎に問い掛ける口調は穏やかである。
「応急処置は済んだ。目を覚ますかなど俺にわかるか。こいつの生存本能次第だ。そもそもこいつもお前らも、何故生きているのか分からないくらい、酷い怪我をしているんだぞ。俺に話しかける暇があるなら名前でも呼んでろ」
……物凄く捲し立てられた。
実弥の額に青筋がたったものの、愈史郎が処置をしてくれたのだし、言っていることも間違っていないので、怒声を飲み込み風音の手を強く握り直して、肺いっぱい空気を吸い込んだ。
「風音!死ぬんじゃねェ!戻ってこねェかァ!」
愈史郎に向けられるはずだった怒声は、風音を呼び戻すために発せられた。
こんな呼び掛けに応えてくれるだろうか?という疑問が頭をよぎったが、それも杞憂に終わる。
実弥はもちろん、皆が望んだ通りに風音が目をパチリと開いたからだ。
しかし、ようやく見られた翡翠石のような瞳は、溢れんばかりの涙で覆われていた。