第26章 宵闇と朝焼け
もちろん天元とて自身の存在が、風音の記憶から零れ落ちてしまったことは悲しく辛い。
しかしそれ以上に、風音の存在そのものが風音から零れ落ちたことが辛かった。
実弥という風音にとって何物にも代えがたい存在を覚えていると言えど、自分自身の全てを忘れるなど、誰しもが容易に想像できるほどの苦痛であるからだ。
しかも今は鬼との最終決戦の最中で、目の前に広がる光景は凄惨そのもの。
その光景を前にしても戦意喪失しないのは、やはり実弥の存在が大きいのだろうが……
「やるせねぇなぁ。ただ穏やかに生きたいだけだってのに。鬼舞辻を倒したとして……嬢ちゃんが不死川の存在さえ忘れちまったら、その後、俺たちはどうしてやりゃあいいんだよ」
「俺にも分からん……分からんが、あの子が不死川のことを忘れたとしても、一時的なことであるように思う。あの子の不死川への想いは、簡単に消えるものではないだろう?」
かつて己の限界に打ちひしがれ、最愛の妻の死に絶望した槇寿郎の、今の優しくも確信を伺わせる声音、言葉に、天元は瞠目した後、僅かに顔を綻ばせながら煌々と輝く月に視線を戻した。
「違いねぇ。まぁ、まさか旦那からそんな言葉が聞ける日が来るとは思ってなかったが……記憶の根底に不死川がいるんだ、アイツら全員生きて戻って、全員でどうにかすりゃあ記憶もすぐに戻るだろ」
軽口を叩きながら月を見つめる天元に、槇寿郎は苦言を呈してやろうかと思ったが、床に着いた握り拳が小刻みに震えているのを目にして、言葉を飲み込んだ。
(早く夜が明けてくれ。鬼舞辻を斬り殺せぬなら、早く陽光で灼いてくれ……これ以上、歳若い者たちが命を失うところを見たくない)
喧騒に包まれた鬼殺隊本部内。
お館様の警護につく二人は、それぞれ静かに皆の無事を願った。