第6章 梵天の華Ⅱ
歌を歌える状況じゃなくなり、無言でカップケーキの生地の材料を順に入れ混ぜていく。
砂糖をゆっくり三回くらいに分けて入れ、そのつどよく混ぜる。
バターが白っぽくふんわりしてきたら、今度は室温に戻して溶いた卵を三回くらいに分けて入れ、またそのつどよく混ぜ合わせる。
溶き卵と同時に、バニラエッセンスも数滴…
「歌わねぇの」
「ヒッ、…え?」
ガチャン、とボウルと泡立て器がぶつかって音が鳴り、同時に手を止めて佐野さんを見た。
私の手元を見ていたはずの佐野さんと目が合い、少しだけ狼狽える。
失敗しないようにと集中しているせいか、声をかけられると自然と怯えてしまう。
それに、佐野さんが急に声をかけるから驚くし、必要最低限にしか言葉を言ってくれないから、…えと……すみません。
「さっきまで歌ってたろ」
「ぁ、えと……は、恥ずかし、くて…」
「……別に下手くそじゃねぇし、気にすんな」
「あぅ、っ…でも」
「歌って」
目を細め、どこか切なそうな顔をする佐野さんの有無を言わさないような懇願に、ゆっくりと、さっきと同じ声量で続きを歌い始めた。
人前で歌うことに抵抗がかなりあって、酷く緊張してしまう。
小さい頃はよく、組の宴会のときに皆の前で歌うことはあったけれど……あの時目の前にいるのは顔なじみであったし、子供だったから羞恥心もそれほどなかったわけで…
会って間もない、それもかの有名な犯罪組織、梵天の首領さんの前で、数年ぶりに歌うせいで震えているこの声をき、聴かせるだなんて…
同じ状況で、緊張しない人はいるのだろうか。
「………懐かしい」
ぽつり、口先だけで呟くように、佐野さんはそう言った。
手は止めずに歌うのをやめて、ちらりと一瞬だけ佐野さんを一瞥し、耳をすます。
「…妹が、よく歌ってた」
「…妹さんが、いるんですか…?」
「………オマエと同い年だよ」
生きてたらな。
手が、止まる。
顔を上げられない。
だって、佐野さんがあまりにも、…まるで息をするように、簡単に、そんなことを言うから。
「オマエ、妹より上手い」
「…っ」
「もっと聴かせて」
テーブルの上で両腕を重ね、その上に頬を乗せて私の手元を見つめる佐野さん。
細めた目と閉じた口元が、どこか幸せそうに緩んでいたことには…気づかない振りをした。