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【東リべ/中・短編集】愛に口付けを

第13章 パステルピンク《今牛若狭》●




「…いるんだ?」
「…好きな人、っていうか、えと…顔もわかんないし、本名もわかんないから、好きかどうかはちょっと…」



何となく…本当に何となく、若狭くんと目を合わせられなくて。
自分でもよくわかってないの、と呟くように言えば、若狭くんはゆっくりと離れていった。
思わずその離れていく指先を目で追えば、若狭くんは頬杖をついて、掠れた声で静かに言う。



「幸せモンだね、そのひと」
「え…な、なに、どういう…」



どこか切なげに揺れて細められた、若狭くんのあやめ色の瞳。
どういうこと、と聞きかけた、直後だった。



「白豹ぉ!!」
「っ……え?」



テラスの柵の向こうから、下品な数多の足音とともにそんな怒声が聞こえてきた。
喉の奥から絞りだすように、小さく声が漏れる。

しろ、ひょう…?



「…ンだよこんな時に」
「!え、なん、」
「オイオイ、俺らの誘い断っといてオンナとお楽しみ中かァ?ひでぇ話だな!」
「ハッ?誘いとか知らねェし。誰だよオマエら」



心底面倒くさそうに片手で項を撫でつけながら、若狭くんはため息を吐きつつ立ち上がる。

今日一日、私が見ていた若狭くんの面影はどこにもなくて。
私に向ける優しい瞳も、笑顔も、甘い声色も全部消え去って、まるで相手を刃物で突き刺すような威圧感が若狭くんに憑依していた。
私の知らない人…別人…まさにその通りで、全身がふるりと震える。

でも、体が震えた理由は、それだけじゃない。



「…ど、して…?」



どうしてあなたが、“しろひょう”と呼ばれて返事をするの?



「相手しろや!俺ら体持て余してんだわ!」
「チッ、雑魚のクセによォ…弱ぇ犬ほどよく吠えるってやつか、あ゙?邪魔すンじゃねーよクソ野郎共が」



獲物を狩る獣のように、牙を剥く若狭くん。
そんな彼を見上げたまま固まっていれば、こちらに目を向けた若狭くんは瞬間に牙を隠し、私の知る彼に戻った。
私のそばに近寄ると、椅子の背もたれに引っ掛けていたバッグを手渡してくる。



「わ、若狭く、」
「怖がらせてゴメンね」
「ぁ…」
「店ン中のトイレにでも隠れといて。連絡するまで出てくんなよ」



小さく笑みをこぼした若狭くんは、それっきり私の方を見なくなった。

また、知らない若狭くん。
…でも私は、…そんな彼をどこか、知っている。


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