第31章 【第三十訓】妖刀『紅桜』 其ノ四
視線を水平に戻すと、春雨の艦船が目に入る。その甲板に複数の人影が見えている。
既に遠く離れているため、顔かたちはわからないが、右端の映える着物はあの男のものだろう。
高杉晋助。銀時の戦友だという、攘夷志士の男。
互いの視線が絡み合っていることに、どちらも気づいてはいない。
桂一派の船の上、子ども二人を両側にたずさえた白い生物の横に、着物姿の女が見える。
この戦場にそんな格好をした人物は一人しかいない。
高杉はその姿に目を向けていた。
「大人しく捕まってるタマじゃねーよな」
高杉は口元を緩めた。
敵陣で捕縛されている最中、その大将を相手に睨みつけるあの瞳。
芯の強さはあの頃と何も変わっていない。
(アンタへの手みやげだ)
昨夜、○○を連れ帰った岡田はそう口を開いた。
(決心が鈍るんじゃないかと思ってねェ。連れて来てやったよ)
白夜叉の所にいた○○という名の女――
橋田屋での一件を高杉に告げた時、その名を耳にした高杉の気配が揺らいだことを岡田は感じ取った。
同時に気がついた。あの女の匂いは、白夜叉よりもこの男に近い。
(この女はアンタのなんだィ?)
○○がまだ江戸にいたことには驚いた。
どんな経緯で記憶を失い、銀時の元へたどり着いたのか知らないが、○○を敵に回すことになるとは思いもしなかった。
――二度と俺の前に現れるんじゃねェ
あの満月の夜に、○○は捨てた。
二度と、顔を合わせることはないはずだった。
高杉は紫煙をくゆらせる。
あの夜のことも、高杉を護るために人を殺めた幼き日のことも、○○は覚えていないのだろう。
○○が再び銀時へと目を向けたと時を同じくして、高杉は船内へと姿を消した。