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3月9日  【A3】

第6章 丁子桜


 「今、…今ね、ヒュンって蛙がさ。
 ドアについてたみたいで、中庭ににげてったんだけど…心臓止まるかと思って、腰抜けちゃった」

 「…そう。立てる?」

 「ん、ごめんね。本当に驚いちゃって。もー大丈夫」

 壁伝いに立ち上がる。

 「あぁ、夜食置いといたよ。至さん、少しは部屋」

 ー…ぎゅっ、

 「っ、」
 「誤魔化すの下手くそかよ。」
 「…そうかな、うまいと思ってたよ。自分では。」

 自分の心臓の音なのか、彼のものなのかわからない。

 「この間のこと、辞める話…潮時かなって話さ監督にもしてきたんだよ。」
 「…そう。まぁ、至さんのすきに、」

 じわっと滲む涙がこぼれないように必死で目を開ける。

 「すきに、すれば…いいんじゃないですか、ね。」

 けど、だめだ。もう耐えらんない。

 ぼろっと落ちたのは大粒の涙で、これじゃあ誤魔化しきれないと察する。

 「至さんの、じんせいだから、…っ、もう、夜食、いらないって、っ、……」

 寂しいな、

 「いたるさ、…っ、幸くんのいしょー、ぜったいにあうのに、」

 悲しいな、

 「っ、…っ、」
 「ごめんね」

 なんの、"ごめんね"なのかな。

 「ま、ぁ。いいですよ、…いたるさんの、かわりなんか、居ないけど、…っ、そんときはそんときで、っ、私が?てぃぼるとやりますから、…っ、」

 ボロボロボロ落ち続ける涙が、心臓を絞って出てきたみたいに、きゅーっと胸が痛い。

 「おれは、お前が心配…っ、よ、ちきょーだいである、オレが守ってやらないと、っ………」

 行かないで、至さん。

 辞めないで、ここに居て…っ、

 毎日もっとちゃんと
 夜食も作るし、

 稽古も参加するし、
 一番にドリンクもあげる。

 お布団だって毎日干してあげる。

 お部屋掃除も手伝う、なんでもするからさ…

 「………ぃで、…さん、」

 「…監督さんとは、保留ってことになったんだ。

 みんなには監督さんから話してくれるって、もちろんお前にもね。

 けど、なんでだろうね。
 やっぱり俺の言葉で聞いてほしいって、思ったのかな?

 だから、芽李も芽李の言葉ちゃんと聞かせてよ。

 その涙の意味も含めてさ。
 …俺、どうすればいいと思う?」

 …もしかして、最後のチャンスかもしれない。
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