第31章 普賢象
side 千景
組織から送られてきた最新の任務は、とある女の婚約者。
俺には向かないと断り続けて、かわしてきたのにどう言うわけか今回は無理らしい。
ターゲットは"酒井芽李"。
「どうして俺が…」
そんなことを嘆いても、組織は優しくない。
ちょうどオーガストとディセンバーの件があった頃で、俺は気が立っていたこともあって、尚更煩わしかったのを覚えている。
こんな一見普通そうな女がターゲットなんて、組織も見る目がないと言うか、なんと言うか…。世も末?
事前調査で彼女を調べるうちに彼女自身はとくに問題もなく、巻き込まれたなら気の毒だと思うようになるまで、そう時間はかからなかった。
酒井芽李とコンタクトを図った時も、鈍臭さと図々しさを覚えただけ。…まぁ、俺自身が嫌な気はしなかったのは意外だったが。
しかし彼女の身辺を調べれば、幼少期お世話になっていたという親戚が怪しく、そう報告すれば、やはり婚約者という立場に取り入れば動きやすいだろうという上の判断に、俺は思わず舌打ちをした。
「先輩、今日はよろしくお願いします」
「あぁ、茅ヶ崎。よろしく」
後輩の茅ヶ崎は、最近劇団に所属したらしい。
などと、どうでもいい情報がインプットされる。
「で?」
「で?とは?」
「最近、劇団に所属したんでしょ?女性社員が騒いでたみたいだけど」
「あぁ、まぁ。はい。ぼちぼちですかね」
「ふぅん」
「興味あります?」
「まぁ、そのうち聞かせてよ」
なんてたわいもない話をしていたのに、まさか俺もその劇団に所属することになるとはこの時は夢にも思わなかったな。
「先輩はどうなんです?最近」
「北海道の支社でトラブルがあったみたいで、今後は出張が増えそう…かな」
「うわぁ、お疲れ様です」
「ははっ、どーも」
嘘を織り交ぜながら、そう伝えれば心底嫌そうな顔をした茅ヶ崎。
外面がいいとは思っていたけど、まさかこんな顔をするなんて、案外俺に気を許してるのか?なんて、それすらどうでもいい。
けどまぁ、仲良くしておいて損はないか。
茅ヶ崎の所属した劇団に、今彼女も住んでいる。
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ーー
「先輩」
「ん?」
「北海道はどうでした?」
「まぁ、悪くなかったかな」