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3月9日  【A3】

第31章 普賢象


 「悪い、芽李さん。至さん起こして来てくれないか?」

 私がカンパニーに戻ってきて、数日がたった。
 朝8時、夕飯の下準備まだ終えて、臣君がエプロンを外しながら言う。

 「あ、そっか。臣君、今からお仕事?」
 「そうなんですよ。至さん、今日は仕事午後からみたいで、昨日の夜起こして欲しいとは言われてたんですけど」
 「そういうこと。うん、分かった。任せて」
 「お願いします。じゃあ、行ってきます」
 「あ、待って。お弁当」
 「そうでした。ありがとうございます」

 臣君の背中を見送って、私は久しぶりに103号室の部屋の前に立つ。

 至さんの城。
 そっと、その部屋の番号をなぞる。

 その時ガチャっとドアノブが動いたから、パッと手を離した。

 見開かれた目はお互い様か。
 隙間から見えた、アイスブルーの目。

 至さんの部屋から出てきた、千景さん。

 そっか、と。
 1人納得する。

 千景さんもなかなか顔を合わせないけど、もう寮にいるんだ。

 「…おはようございます」
 「あぁ、…えっと。寮母さん」

 千景さんが後ろ手にドアを閉めたことを良いことに、そして、至さんが起きてないことをいいことに、私は口を開く。

 私は少しだけ、怒ってる。

 「…みんなの前では、千景さんのお芝居に付き合ってあげますよ」
 「…」
 「でも、2人の時は別ですから」
 「…どう言う意味?」
 「何も言ってくれなかったから、怒ってるってこと。…心配してました、だから、…怒ってます」
 「…ふっ、」
 「それに、私と別れたいなら、公式的な文書だって必要だと思うんです。ハンコも直筆もしてないから」
 「そうだね」
 「そうだねって…ってことは、…まだ。まだ終わってないですよね、私達は」
 「案外、しつこいんだ」
 「頑固ってよく言われます」
 「そうみたいだね。…でもさ、終わってる方が都合いいんじゃない?君は」

 そっと、細い冷たい指が私の頬に伸びる。
 こんなふうに触られたの、初めてだ。

 「どうして?」
 「だって、まだ好きでしょ。…茅ヶ崎のこと」
 「この間からそればっかり」
 「本当のことだと思うんだけど」
 「好きだとして、私が浮気できるようなタイプに見えますか」
 「俺とそういう仲になった君がそれをいうの?」
 「ちゃんと名前を持った関係は…」
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