第30章 駿河台匂
「お待たせ」
玄関で待っていると、昨日みたいなよそ行きの至さんが現れる。
「あの」
「ん?この後に及んで断るとかはやめてね。着替えてきたし、俺もちょうどコンビニに用があっただけなので、芽李のためだけじゃないし」
「…ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
くるくるっと鍵を回して、至さんがハミングしながら車庫に向かうのを、私は追いかける。
ピピッと車の鍵を開け至さんが、後部座席のドアを開けた。
「ごめん、いま助手席荷物あるから」
「うん、」
それが至さんの気遣いってかとわかってる。
でもなんか少し、寂しいなんて自分勝手だ。
さっきまでは断ろうとしていたくせに。
至さんが運転席に乗る。
なんか新鮮だな、と思ってるとルームミラー越しに目があって、先にそらしたのは私だ。
優しい目をしていたから、いたたまれなくて。
エンジンをかけて、流れ始めたゲームの音楽。
あの頃聴いていたものじゃなくなっている。
勝手に離れて、変わらないで欲しいなんて、時間が経っても変わらないものなんてそうないのに。
「…あのさ、」
ボリュームを下げて、先に話しかけてきたのは至さん。
走り出した車の窓から流れる景色を見ながら、低くて甘い優しい声を意識してしまわないように予防線をはる。
「はい」
「今日は旦那さんいるの?」
「どうしてそんなこと聞くんですか」
「昨日は泊まりだったし、今日だって夜遅いでしょ?心配してないかなって思って」
「…まぁ、はい」
「そう」
「今、いないので」
「仕事?」
「そんな感じです。…至さんは?」
「え?」
「どうなんですか」
聞かなきゃよかったと思った。
どんな返事でも心を乱すくせに。
「恋人とかそう言う話?いないよ、言ったでしょ。今でも芽李だけって。
まぁ、仕事も忙しいし、もうすぐ春組も忙しくなるし。ゲームもあるし、ありがたいことにすごく充実はしてるから…芽李って言ったけど、たまにちょっと思い出すってだけ。
本人に言うのはどうかなって話だけど」
「いえ、それならよかった…って言うのもおかしいですね」
「いいのいいの。あ、そうだ。夜遅くなったら誰かしら送ってくから、福利厚生ってことらしいよ、左京さんの提案。臣とかなら、バイクかな」