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3月9日  【A3】

第29章 御衣黄


 例えばボヤけた視線の先、姿勢も服も少し崩れた至さんが、まだ前髪を結わずにいるくせに、携帯から目線を外さないことが気に食わないとか。

 みんなとは話せたのに、至さんとはきちんと話せていないこととか。

 …千景さんがいないこととか。

 千景さんに会いたいな、とか。

 「ちょっと、よった」
 「だろうな」
 「かぜあびてくる」
 「大丈夫かよ。ついてくか?」
 「んーん、ばんりくん、ゆざめしちゃうから。…ふふ、…あー、んー、さくがさぁ、おふろからあがったら、らいむしてーってつたえてくれる?」
 「…りょーかい」
 「おみずもらってくねぇ」

 グラスを持って、席を外す。
 少し視界が歪むくらいで、割と真っ直ぐ歩けていると思う。

 中庭に出ると、風が少しつめたくて。

 暗闇に慣れるまで少し時間がかかりそうだな、と思った。

 ベンチに腰掛けて、一つ大きなあくびをする。
 冷たい風もここちよくて、これなら酔いも覚めるだろうと持ってきた水を煽る。

 パチパチと弾けてレモンみたいな味がして、水にしては喉に効くなと思いながらまたグラスを傾ける。

 「芽李」

 名前を呼ばれて、ぐわんと仰向けにするみたいに首を後ろに下げる。
 逆さまの世界で、驚く顔が意味もなく面白かった。
 ふわふわしているから尚更か。

 首を元に戻し、またグラスを傾ける。

 「何飲んでるの?」
 「おみず」
 「みず?」

 頭がぐわんぐわんするのは、酔っているのに仰向けみたいに首を下げたせいか。

 「そー、」
 「一口ちょうだい?」
 「いーよ」

 グラスを渡すと、隣に座った彼が全部飲みほす。

 それと同時に雲が隠してた月がでてきて、なんだか絵になるなぁってボーッとそんなことを考えていた。

 「おみず、おいしかった?」
 「まぁね」

 少し顔を歪めたきがするけど、多分気のせい。

 「俺全部飲んじゃったから、こっち」

 そう言って差し出されたのは、見覚えのあるマグカップ。

 「いたるさんの」
 「そう、俺の。芽李の、もうここにはないでしょ」

 ズーンと、その言葉が重い。

 「…そっか」
 「なんてね、ちょっと意地悪言った」
 「きょうは、ずっといじわる」
 「え?」
 「いたるさん、ずっといじわる」
 「心外なんですけど」
 「まえがみ」
 「前髪?」
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