第29章 御衣黄
例えばボヤけた視線の先、姿勢も服も少し崩れた至さんが、まだ前髪を結わずにいるくせに、携帯から目線を外さないことが気に食わないとか。
みんなとは話せたのに、至さんとはきちんと話せていないこととか。
…千景さんがいないこととか。
千景さんに会いたいな、とか。
「ちょっと、よった」
「だろうな」
「かぜあびてくる」
「大丈夫かよ。ついてくか?」
「んーん、ばんりくん、ゆざめしちゃうから。…ふふ、…あー、んー、さくがさぁ、おふろからあがったら、らいむしてーってつたえてくれる?」
「…りょーかい」
「おみずもらってくねぇ」
グラスを持って、席を外す。
少し視界が歪むくらいで、割と真っ直ぐ歩けていると思う。
中庭に出ると、風が少しつめたくて。
暗闇に慣れるまで少し時間がかかりそうだな、と思った。
ベンチに腰掛けて、一つ大きなあくびをする。
冷たい風もここちよくて、これなら酔いも覚めるだろうと持ってきた水を煽る。
パチパチと弾けてレモンみたいな味がして、水にしては喉に効くなと思いながらまたグラスを傾ける。
「芽李」
名前を呼ばれて、ぐわんと仰向けにするみたいに首を後ろに下げる。
逆さまの世界で、驚く顔が意味もなく面白かった。
ふわふわしているから尚更か。
首を元に戻し、またグラスを傾ける。
「何飲んでるの?」
「おみず」
「みず?」
頭がぐわんぐわんするのは、酔っているのに仰向けみたいに首を下げたせいか。
「そー、」
「一口ちょうだい?」
「いーよ」
グラスを渡すと、隣に座った彼が全部飲みほす。
それと同時に雲が隠してた月がでてきて、なんだか絵になるなぁってボーッとそんなことを考えていた。
「おみず、おいしかった?」
「まぁね」
少し顔を歪めたきがするけど、多分気のせい。
「俺全部飲んじゃったから、こっち」
そう言って差し出されたのは、見覚えのあるマグカップ。
「いたるさんの」
「そう、俺の。芽李の、もうここにはないでしょ」
ズーンと、その言葉が重い。
「…そっか」
「なんてね、ちょっと意地悪言った」
「きょうは、ずっといじわる」
「え?」
「いたるさん、ずっといじわる」
「心外なんですけど」
「まえがみ」
「前髪?」