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3月9日  【A3】

第28章 関山


 「絆されてくれたんじゃないんですか、満たされたならどうして1人で行こうとするんですか」
 「…」
 「今日から住むんでしょう、一緒に」
 「馬鹿なの、君は」

 冷たい声。

 「住む場所も用意した。君の唯一の家族がいる東京まで連れてきた。
 君の古巣までは、電車一本、バスでも行ける」
 「だから、」
 「ここまで言わなきゃわからないのか。好きにすればいい、もう君を縛るものはないだろ」
 「…最初から、そのつもりで」
 「さぁ、どうだろうね。…俺を大好きになったって?君も俺と同じくらい、嘘が上手みたいだ」
 「嘘なんかじゃ」
 「…キスひとつも君は許さなかったくせにね」
 「手を出さなかったのは、千景さんでしょ」
 「出させてくれなかったんだろ」

 何も言えなかった。
 突然のことだったから。

 でも、私本当に。

 「じゃあ、いま出してくださいよ。出せるものなら、」
 「…」
 「出す勇気がなかったのは千景さんのくせに。
 私は千景さんと結婚したんです、何もかも置いて、それが私に返せる唯一のことな気がしたから」
 「それでも君の1番は今でも、」

 その言葉は本当に深く、抉るように私に傷をつける。
 違う。
 …こんな表情させているのは、多分私のせいだ。
 傷ついているのは、千景さんの方だ。

 「俺じゃないだろ」

 でも、じゃあ、どうすれば良かったの。

 どうして私、言い返せないの。

 「君じゃ、俺を繋ぎ止められないだろ」

 優しく振り解かれ、だらんと私の手が力無く下ろされる。

 「ここのものは好きにしていい。
 君のものも、部屋を見てわかっているだろうけど、今朝業者が運び入れてるはずだから」
 「…千景さん、は、」
 「…」

 開けられたドアから差し込む光が妙に明るくて、その中に行ってしまう千景さんを引き留めたくて。

 それでもそんな資格ないような気がして。

 ねぇ。

 なんだったの、この数年は。
 一緒に過ごした時間は。

 笑い合えた気がしたのに。
 これからも2人でやって行くんだと思ってたのに。

 もうすぐ春が来るものだと思ったのに、勘違いだったみたいだ。

 千景さんがいなくなった部屋は、初めての場所で。
 私1人取り残されて、冬が戻ってきたみたいに寒い。

 それなのに、今までみたいに泣けなかったのはどうして?
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