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3月9日  【A3】

第26章 紫桜


 『泣いてる?…泣きたいのはこっちだってば。泣かないけど』
 「ごめん、…ごめん。なんか、感極まってしまって」
 『今日の公演、観てたよね?お婆ちゃんの隣じゃなかったけど』
 「うん、あの、知り合いの人がチケットくれて」
 『ふーん?まぁ、いいけど、最後まで観なかったんだ?』
 「人を待たせてたから…って、私の話はよくて。
 どうしてくれたの、花束」
 『お前、花屋のくせに花言葉とかあんま知らないかんじ?』
 「少しはわかるよ、胡蝶蘭とか」
 『後で調べなよ、深い意味はないけど。
 ピックはもらっておいた、サービスでしょ、芽李の』
 「くまのやつ?」
 『そう、不細工加減がお前に似てたからね』

 晴翔の言葉は少し棘があるのに、なぜかいつもより優しい口調な気がして、なんか変な感じだ。

 「舞台役者さんに比べたら、そりゃ私なんて道端に生えた大根みたいなものだもの」
 『大根美味しいけどね。…ねぇ、あのさ』

 クスッと笑って、間を置いた後の声が耳に残る。

 その奥で晴翔を呼ぶ声がした。

 『…』 
 「晴翔、今呼ばれた?」
 『まぁね』
 「行かなくていいの?」
 『行くけど、…やっぱいいわ。お前にはもう言ってやらないって、前に決めたんだ』
 「なにを、」
 『鈍いよ、ほんとに。
 まぁでも、上等。いつか言わせてやる。…だからさ、明日もいるよな?』
 「あ…」
 『わるい、そろそろ切る』
 「あ、うん。あの、ありがとう。花束、嬉しかった」
 『…どーいたしまして。じゃあ、また』
 「うん、また」

 チャランっと、鳴り響いた電子音。

 しばらくその場から動けなかったのは、"明日もいるよね?"に、返せなかったからかな。

 トントンと数回ドアを叩く音に、返事をできずにいれば、そっとドアが開いて覗き込んだのは千景さんだ。

 「そろそろ行くけど、電話は終わった?」
 「あ、うん。ありがとうございます。お待たせしてすみません」
 「じゃあ、行こうか」

 千景さんに促されるまま、もう一度茶の間へと向かう。

 「それじゃあ、俺たちはこれで」
 「来てくれてありがとうね、芽李ちゃん、チカちゃん」
 「チカちゃん?」
 「ふふふ。まぁいいじゃない。気をつけて行くんだよ、向こうは雪がすごいだろうから。
 忘れ物はない?」
 「うん、大丈夫」
 
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