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3月9日  【A3】

第10章 大島桜


 「監督さんじゃないよ、俺が用があったのは芽李。お前だよ。」

 すっと離れた体温は、私が拒絶したから?

 「仕事行く前に話せる?」
 「無理かな。もう出るし、」
 「じゃあ、送ってく。そしたら少しは話せるでしょ?」
 「…」
 「急いで。」

 少し強引な至さんに、断る言葉を探しても全然見つからなくて。

 無言のまま、その場を離れる。
 無視することだってできた。でも、そんなのあまりにも不自然におもえて、今からでも断れる言葉をまだ探している。

 仕事の用意を終わらせて玄関に向かうと、ケータイで(多分)ゲームをしている至さんが、顔を上げた。

 「早かったね。」
 「至さん、」
 「行こうか。」

 スマホをスーツのポケットに入れて、ついてこいと無言の圧力。

 「至さん、」

 ピピっと車の鍵が開く音。
 続け様にガチャっとドアが開く音がする。

 「さぁ、芽李ちゃん。乗って。」

 首を振る。

 「そんなこと言わずにさ、ほら。」
 「…」
 「…わかった。なら、俺も行かない。こまったな、大事なプレゼンがあるのに。」
 「…」
 「…」
 「…」
 「…芽李、?」

 その声があまりにも優しくて、だから余計言いたくなくなった。

 「至さんが何も聞かないなら、乗せてください」
 「…ふむ。
 まぁ、じゃあ分かったよ。ほら、乗って?」

 今まで何度か乗せてもらった、助手席。
 今日が今までで一番居心地が悪い。

 静かに走り出した車でも、今日は珍しくラジオが流れていて。

 「ねぇ。芽李、」
 「…なんですか?」
 「しんどくなったらいいなよ。いつでも聞くからさ?」
 「しんどい事なんてなにもないですから」

 車窓に映る自分は、情けない顔をしている。

 「芽李」
 「そんなに酷そうに見えますか?至さんに何がわかるの?
 …たった、数ヶ月過ごしただけじゃないですか。私が大丈夫って言ってるのに、どうして信じてくれないの。」
 「…」
 「至さんより、私の方が"わたし"をちゃんと分かってますから。」

 口にした後に、言いすぎたと気づいて。
 でももう、いまさら遅い。

 「…というわけなので、本当に大丈夫。」

 いいタイミングなのか、ちょうど職場に着いたところで.やっと至さんの顔を見ることができた。
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