第10章 大島桜
「監督さんじゃないよ、俺が用があったのは芽李。お前だよ。」
すっと離れた体温は、私が拒絶したから?
「仕事行く前に話せる?」
「無理かな。もう出るし、」
「じゃあ、送ってく。そしたら少しは話せるでしょ?」
「…」
「急いで。」
少し強引な至さんに、断る言葉を探しても全然見つからなくて。
無言のまま、その場を離れる。
無視することだってできた。でも、そんなのあまりにも不自然におもえて、今からでも断れる言葉をまだ探している。
仕事の用意を終わらせて玄関に向かうと、ケータイで(多分)ゲームをしている至さんが、顔を上げた。
「早かったね。」
「至さん、」
「行こうか。」
スマホをスーツのポケットに入れて、ついてこいと無言の圧力。
「至さん、」
ピピっと車の鍵が開く音。
続け様にガチャっとドアが開く音がする。
「さぁ、芽李ちゃん。乗って。」
首を振る。
「そんなこと言わずにさ、ほら。」
「…」
「…わかった。なら、俺も行かない。こまったな、大事なプレゼンがあるのに。」
「…」
「…」
「…」
「…芽李、?」
その声があまりにも優しくて、だから余計言いたくなくなった。
「至さんが何も聞かないなら、乗せてください」
「…ふむ。
まぁ、じゃあ分かったよ。ほら、乗って?」
今まで何度か乗せてもらった、助手席。
今日が今までで一番居心地が悪い。
静かに走り出した車でも、今日は珍しくラジオが流れていて。
「ねぇ。芽李、」
「…なんですか?」
「しんどくなったらいいなよ。いつでも聞くからさ?」
「しんどい事なんてなにもないですから」
車窓に映る自分は、情けない顔をしている。
「芽李」
「そんなに酷そうに見えますか?至さんに何がわかるの?
…たった、数ヶ月過ごしただけじゃないですか。私が大丈夫って言ってるのに、どうして信じてくれないの。」
「…」
「至さんより、私の方が"わたし"をちゃんと分かってますから。」
口にした後に、言いすぎたと気づいて。
でももう、いまさら遅い。
「…というわけなので、本当に大丈夫。」
いいタイミングなのか、ちょうど職場に着いたところで.やっと至さんの顔を見ることができた。