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3月9日  【A3】

第7章 豆桜


 「じゃあ、酒井さん、お願いします」

 ちょこんと座った咲。
 緊張のせいか、強張ってるように見える。

 「佐久間くん、今日の夕飯何食べたい?」
 「へ?」

 首を傾げた彼に鏡越しに笑いかける。

 「やっぱり、ナポリタンがいいかな?」

 あ、…嬉しそう。

 「はいっ」
 「うん。じゃあ、腕によりをかけて作るね。」

 咲のふわふわな髪に櫛を通す。

 「……酒井さん、」
 「ん?」
 「"咲"って、呼んでくれませんか?」

 鼓動が早くなってくのがわかる。

 「…」
 「たまにオレのことそうやって呼んでくれますよね、」
 「昨日の夜のって、そのこと?」

 それを隠すように、余裕のあるふりをして答える。

 「…だめですか」

 肯定とも否定とも取れるその言葉に、正解の答えを探す。

 「落ち着くんです、"咲"って呼んでくれると。」

 そんなふうに言われたら、呼ばないわけにいかなくなる。
 口を開けて音にすれば簡単なのに、複雑な思いがストップをかける。

 いつか、至さんにも言われた。

 …周りも気づいてるのに、本人が自覚しないわけないか。

 「…さ、さく」

 思っていたよりも小さくなってしまった声に、情けないと思いながら返事をしてくれない咲に、もう一度と口を開く。

 「"咲"」

 今度はちゃんと聞こえたかな、

 「…ありがとうございます。
 やっぱり、落ち着きます。」

 ふーっと、息を吐いた咲にこれでよかったのかと思う。

 「また呼んでください、"咲"って。
 酒井さんだけに、そう呼んで欲しい。」
 「…咲、練習って思ってすればきっと大丈夫。咲の中にちゃんとロミオはいるから。」
 「はい。」
 「私も一緒にいくよ、ロミオと。みんなと…。
 だから、楽しんで。
 …裏で待ってるからね」
 「はいっ!!」

 話し終えた頃にちょうどいづみちゃんが呼びにきて、咲の髪もセットし終えて…

 立ち上がってドアに向かった咲の背中をポンっと押す。

 「行ってらっしゃい」
 「いってきます」

 …今日が本当の意味での始まり。
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