第11章 お代は要りません《後編》◉相澤消太
「だ、騙されませんからね、!」
「嘘じゃないよ」
ああ溺れてしまいたい、彼が私を引き留めるためについた嘘だとしたら、それだけで充分愛しいのだから
「もう言わないでください、き、切りますよ」
先ほどまであった雑音はいつの間にか消えて
階段を登るような規則的な靴音とともに耳元で響いたのは彼の舌打ち
深呼吸のように吐き出された長い息の後、はっきりと苛立った声が私の鼓膜を揺らした
「月水木は二限の後、火曜金曜は始業後すぐ」
「・・は、い?」
「アンタが職員室に来るタイミング」
苛立ちを全く隠さないその声、苦虫を潰したような表情が電話越しにも鮮明に伝わってくる
月水木?職員室?、唐突な内容に全く頭がついていかなくて、目の前のカップを見つめながら私は何度もぱちぱちと瞬きをした
「昼は基本食堂だが、水曜だけは中庭」
食後給湯室で紅茶をいれるまでがセット、
そう言った彼の声色には、苛立ちに加えて面倒臭そうな溜息が混じり始めている
「そ、それって、わたしですか」
「そうだよ」
えっ、な、なん、言葉にならない間抜けな音がいくつも口からこぼれる
相変わらず耳元に聞こえるのは諦めたような深い溜息で、不機嫌で気怠げな声は私の動揺を無視して淡々と言葉を続けた
「帰りは大体18時半、月末は21時頃まで残る」
「な、なんで知ってるんですか、!」
「シラフかどうかも見破れないアンタとは違い、俺は存外把握したいタイプでね」
山田の仕事だけ必ず当日中に終わらせるのは何でなんだ、責めるようなその口調に途端にうるさくなった胸の音
「ったく、どっちがファンなのか分かったもんじゃない」
「せ、先生、それはファンと言うより、」
「そう言われるから言いたくなかったんだよ」
聞こえた特大の溜息は先ほどとは違い少しだけ安堵の色を孕んでいて
追いつかない頭と逆上せた身体では到底立って居られず、ずるずると座り込むと冷たい床が今度はひどく心地いい
「職業柄、人の行動を記憶するのは得意なんだ」
そういう事にしといてくれ、寒さに鼻を啜った彼は力なく声を発して、また訪れた長い沈黙
先ほどとは明らかに違う、甘さを孕んだそれがもどかしくゆっくりと伝わってくる
話は以上だと言わんばかりの空気に、私は慌てて言葉を発した