第11章 お代は要りません《後編》◉相澤消太
電車に乗って数駅、瞬く間に辿り着いたアパート
部屋のドアを閉めると同時に頬を伝ったそれを消し去るように、靴を脱ぐとすぐさま洗面所のクレンジングを手に取る
たった一度きりの、もう決して求めてはいけない温もり
どうするべきかなんて分かりきっているのに
知ってしまったそれは甘い未練となって私に絡みついて、蜂蜜に溺れてしまいたくなる
いつもより熱いシャワーを浴びてふわふわの部屋着をかぶると
きっと大丈夫、なんて気休めにもならない言葉を小さく呟いて
特別な時にだけ淹れる紅茶の缶を開けるとキッチンに広がった華やかな香り
お気に入りのカップを準備しお湯を沸かし始めたと同時に、
突然部屋に響いた振動音に私は小さく叫んでいた
「ひっ!」
全然、大丈夫じゃない・・っ!!
震える画面に表示されたのは昨日新しく登録した名前、その四文字に心臓が壊れそうなほど激しく音を立てる
「お近づきのしるしに」
捕縛布で隠れた口元、少し照れ臭そうなその声は昨日、私を天にも昇る気持ちにさせたのだった
抑えても抑えても込み上げてしまうこの喜びは、決して飛び込むことのできない絶望を連れている
幸せにはなれない、逃げるべきだと分かっているのに、飛びつきたくて浮き足だってしまうのだ
一定時間で途切れるものの繰り返し何度も私を呼ぶそれに、蜂蜜の中で息はできないと知りながら私は結局手を伸ばした
「・・・寝、る前に連絡しようと思ってました」
「嘘つけ」
耳元で聞こえた安堵のような溜息に心が甘く疼く
「逃げ足の速さには驚いたよ」
鳴り終わる前に退室しただろ、呆れたその声が私の鼓膜を震わせる
それだけでこんなにも幸せで、辛くて、泣きたくなる
「あの、」
「単刀直入に言うが、会って話がしたい」
有無を言わさぬ圧を滲ませた声が私の言葉を遮って
ここで言わなければきっと溺れてしまう
私は落ち着かない胸に手を当てると、深く息を吸い込んで彼に告げた
「会うのは、もう、だめです」
「理由は」
動じない無機質な声色、私は目の前の乾いた茶葉を睨みつける
理由なんて、そんなの