第10章 お代は要りません《前編》◉相澤消太
普段の印象とはまた大きく異なる目の前の彼女は、あまりにも魅力的で、その表情ひとつひとつが計算し尽くされたものの可能性すら出てきた
「・・いつも魔性みたいな顔しておいて素顔はそれですか、一体なんのつもりですか」
「え、ま、魔性?!」
「いい加減にしないと、ろくでも無い奴に捕まりますよ」
必要以上に顔を顰めて睨みつけると、彼女はいつものように居住まいを正した後、少しだけ安心したように笑みを漏らした
「で、何でアイツは”山田先生”なんですか」
「う、それは、・・言いたくないです」
「・・・そうですか」
黒く埋め尽くされた窓に目を遣ると、蛍光灯の明かりに二人だけが浮かび上がっている
霜でも降りそうな寒さ、こんな時間に一人で帰す訳にはいかないと、有難い大義名分を腹に落とし込んだ
「俺のファンだと、そう言いましたね」
「はい、!」
「プライベートに興味は無いですか」
誘ってるんです、腰を屈めて真っ直ぐに目線を合わせると彼女の頬が一瞬で紅く染まって
想像以上の分かり易い反応に、思わず意地の悪い笑いが込み上げる
「今、何想像しました?」
「ま、魔性は・・!そ、っちです・・!!!」
「あなたにそう思われるなら本望です」
行きましょうか、電気を消して凍えるような廊下に足を踏み出すと後ろで狼狽えるその気配に全神経を集中させて
音を立てて開けたプルタブ、広がったコーヒーの香りが少しずつ頭を落ち着かせていく
「薬師さんは、お酒は飲みますか」
「い、いえ、あまり得意ではなくて・・」
「それは好都合です」
「え、沢山飲ませる気ですか・・!?」
酔った勢いになどさせるものか、そんな想いには露ほども気付いていない彼女が不安気に此方を見上げている
我ながら余裕の無い運びだと呆れて漏れた自嘲を飲み込むように
すっかりぬるくなったそれを俺は一気に飲み干した
「それは、どうでしょうね」