第10章 お代は要りません《前編》◉相澤消太
「・・職員室の電気がついていたので、どなたかいらっしゃるのならと思って」
そう言った彼女の手には缶コーヒー、恐る恐る差し出されたそれを受け取るとその温度が急激に掌を温めていく
「あ、でももう先生も帰られるんですよね・・?」
「いえ、いただきます」
残業している奴にわざわざ差し入れをして帰るなんて全くその気が知れない、もはや思いやりを通り越して媚びているようにすら思う
男女関係なく誰が残っていたって彼女はこれを渡したのだろう、そこに他意がある訳でもなく純粋に労っているのだ
二人きりの職員室、煩いコピー機の音も話し声も今は聞こえない
自分には無い彼女の価値観に俺は苛立ちに近いものを感じているのだろうか、或いは、
「あの」
「はい、?なんでしょうか」
「相澤、です」
「へ、?」
「・・相澤消太です」
至極真っ当、彼女はその目を丸く見開いて、「え」だとか「あ」だとか狼狽しながら、返す言葉を必死に探している
何の助け舟も出さない俺に痺れを切らしたのだろう、何度も瞬きをしながら此方を見上げて、瞳にうっすら浮かんだ涙に思わず俺は笑いを噛み殺した
「も、もちろん存じ上げております・・!」
「そうですか」
「なんでアイツが山田で、俺がイレイザーヘッドなんですか」
呼び方のことです、俺がそういうと彼女は心底驚いた顔をして、肩に掛かった鞄の紐を握りしめた
「ヒーロー名で呼ばれるの、お嫌でしたか、」
「いえ、ただ、ここでは苗字で呼ばれることが多いもので」
我ながら阿呆臭い、彼女に突っ掛かる理由など何も無いというのに
薄暗い部屋、二人の上だけが明るく照らされて
居心地の悪い沈黙に耐えかねた彼女は不安そうに此方を伺っている
「・・無愛想なのは謝ります」
「ち、違うんです!むしろイレイザーは少し特別というか、」
「そういうお世辞は不要です」
敬遠されていることくらいわかりますから、なんて
お門違いな苛立ちへの自己嫌悪も相まって、謝罪したばかりだというのに早速このザマだ
目の前に居るのはおそらく生粋の八方美人、芽生え始めた嫌悪感を悟られないよう目線を逸らすと漏れ出た溜息を飲み込んだ
「わかりました、もういいです」
「ま、待ってください・・!」