第8章 優しく迷子の手を引いて◉飯田天哉
職員室の引き戸よりもずっと重い体育館の扉、
やっとのことで開いたその先に、丁度自主練を終えたらしい彼の姿を見つける
両膝に手をつき息を整えていた飯田くんは、私に気づいた途端足早に更衣室の方へと歩き出した
「飯田くん・・っ、お願い、待って!」
右手には轟くんから預かったアンケート用紙、
最後の希望をかけてそれをぶんぶんと振るとぴたりと止まった背中、諦めたように振り向いた彼が呟いた
「・・さすがにこの状況では、去れないな」
今まで本当にすまなかった・・!、苦しそうに目を伏せた飯田くんは私に近づくとこれ以上無いほど綺麗なお辞儀をして
困ったように眉を下げた彼の泣き出しそうな顔に、落ち着かない胸の音がどんどんと速くなっていく
「お願い飯田くん、顔を上げて、」
「・・君を傷つけて、俺は最低だ」
違う、最初に傷つけたのはきっと私の方なのだ、
白く変わるほど固く握りしめられたその手にそっと触れると
仕舞っておかなくてはいけないと分かっていても、彼への愛しい気持ちが込み上げた
「私、私ね・・っ」
指先から伝わる彼の温度、触れられる距離に居られるだけでこんなにも幸せで、苦しくて、鼻の奥がつんとする
伝えてしまえば今度こそ、きっと彼は私を遠ざけるだろう
そう分かっているのに、溢れ出した言葉は想像していたよりもずっとずっとはっきりと自分の鼓膜を揺らした
「飯田くんのことが、好き」
驚きに顔を上げた飯田くんは、恐れていたことが起きてしまったとでも言いたげに目を見開いて
想像通りの辛い反応に、私の頬を雫が伝う
誰も居ない体育館に鼻を啜る音が響いて、漏らした嗚咽に嫌悪しながら私は必死に言葉を紡いだ
「ご、ごめんなさい、困らせるって分かってたのに、」
行き場のない視線を床に落とすと、頭上から聞こえた浅い吐息、力強い彼の両手が私の肩を掴んだ
「冷静になりたまえ、おそらく君は感情を履き違えている」
君が好きなのは俺じゃなく、兄さんだろう?
眼鏡の奥の乾いた瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた
「・・っ」
憧れのヒーロー、インゲニウム
確かに最初は、彼がその人の弟だと知り居ても立っても居られなかった
邪な目的で近づいたと、彼にそう思われても仕方がないのかもしれない
「目を覚ました方がいい、それは、恋ではない」