第8章 優しく迷子の手を引いて◉飯田天哉
透明な雨粒が音を立てずに窓を濡らして
小さな雫が幾つも重なっては流れていく様子を、カーテンの隙間から眺める
あの日から私は、目覚まし時計が鳴るよりもかなり前に目覚めてしまうようになった
音の無い部屋を見渡すと目に入ったのはあの写真、思い出すヒーローがいつの間にか変わっていたことに気付くと目の前の写真がひどく滲んで見える
「・・いってきます」
傘を叩く雨粒は先ほどとは違い、立派な音を立てて
重い足を動かし何とか辿り着いた校舎、廊下の先に見えたのは恋しくてたまらない彼の姿だった
「い、飯田くん・・っ!」
思わず発したその声はきっと彼に届いたに違いない、一瞬立ち止まったその背中に追いつこうと私は駆け出して
けれど伸ばした手が触れる寸前、彼はくるりと向きを変えた
「みんな!そろそろ予鈴だ、席に着こう!」
勉学こそ学生の本分だ、そう叫んだ彼は私の存在など見えていないかのように教室へと消えていく
悲しくて噛み締めた唇は声を出すまいと震えて、決して入ることのできない教室に響く彼の声が私の鼓膜を揺らした
———
「い、いいの・・?薬師さん、呼んでたよ・・?」
俺を覗き込んだ緑谷くんがおろおろと視線を迷わせる
もういいんだ、できる限りの笑顔でそう伝えると彼は「何かあったら言ってね、」と心配そうに微笑んだ
「・・感情が、迷子になってしまってね」
どんな顔で彼女に会えばいいのかわからないんだ、小さく呟いたその声はクラスの喧騒に消えて
こんなにも騒がしい朝ですら、何度も自分を呼ぶ彼女の声が、その震えた声音が耳について離れない
我ながら酷い突き放し方だと、そんなことはもちろん分かっている
分かっていても彼女の顔を見ると全てを壊してしまいそうで、自分本位な気持ちをぶつけてしまいそうで
そんな自分に対して、今まで経験したことのないほど苛立ちと落胆を感じていた
「学園祭のアンケートは、今日中に頼む!」
相澤先生が扉を開けるまであと数分、
着席し始めた皆に向け教壇から声を張り上げると、教室の後方に座る轟くんがじっと此方を見つめていた