第8章 優しく迷子の手を引いて◉飯田天哉
拾い上げた掌の上、見知った姿のプロヒーローが此方を見返している
つい数時間ほど前まで自身が着ていたコスチュームによく似ているが、それは似て非なるもの
今の俺では全く足元にも及ばない、ずっとずっと先を征くその背中
幼少時代から憧れ、追いかけ続けている力強いその勇姿が、俺を大きく混乱させた
「・・っ、天晴兄さん」
「み、見られちゃった・・!」
両手でステッカーを受け取った彼女が、大切そうに元の場所へとそれを仕舞って
びっくりさせてごめんね、と恥ずかしそうに呟いてその目を伏せる
俺が思わず落としてしまった缶を拾い上げると、華奢な両手がそれを差し出した
「・・小さい頃ね、迷子になった時
インゲニウムに助けてもらったの」
いつ飯田くんに言おうか迷ってたんだ、そう言って照れくさそうに微笑んだ彼女
窓に反射した橙色が照らすその表情が、今までで一番美しく見えるのは
それは、愛しい者を思い浮かべているからだろうか
「・・そんな顔、するんだな」
「え?」
「何でもない、今日のことは・・、忘れてくれ」
不思議そうに俺を見上げたその瞳から視線を逸らすと、頭を落ち着かせようと眼鏡に触れる
それでも油断すると大切な想いを言葉にしてぶつけてしまいそうで、目を閉じて呼吸を整えると固く口を噤んだ
「、飯田くん、?」
恋ではない、始めから恋では無かったんだ
彼女は憧れのヒーローである兄を俺に重ねていただけだった、考えてみれば直接的な好意を告げられたことだって一度も無かったじゃないか
我ながら、なんて滑稽で哀れなんだ、
「・・すまない、そろそろ行かなくては」
これ以上彼女の顔を見ていられなくて、早くこの場を去りたくて、目を合わせないままその横を通り過ぎる
どきどきと煩い心臓の音は先ほどとは違い嫌なリズムを奏で、胸に鉛が溜まっていくようだ
「、飯田くん!」
背を向けた途端に虫の声が響き始めた木々の群れ
焦ったように振り返った彼女の声を無視し、俺はただひたすらに寮への道を駆け抜けた