第5章 お祈りはいつも届かない
教室の空気がおかしいのは、過去にこんな騒動に巻き込まれた黒子くんも気づいているはずだ。
彼は猿人とはいえ、かなり特殊な立ち位置にいるから、斑類関連のトラブルだって感知できる。
中学時代も、それ故に騒動の中心に置かれ、奪い合われた。
白河さんと違って、自分の立場に鈍感なわけではないというのに、彼はあまりにも堂々としていた。
《カガミくんとエンゲージしたの、黒子くんだったよ》
様変わりしてしまった教室の雰囲気に呑まれまいとするように、和泉はスマホで緋那にメッセージを送る。
返信はすぐに来た。
《嘘だ。犬神人でしかも重種の灰崎が、匂いで白河のだって断言してたんだぞ。あいつムカつくけど鼻だけは確かだろ》
犬神人(いぬじにん)。青峰たち猫又とは違い、犬科の動物の身体能力や魂を持つ者たちのことだ。
山吹色のネクタイの彼らの嗅覚は、犬科の特徴を継いでいるだけあって、総じて恐ろしく鋭敏だった。
その端くれである和泉自身も、大した特技はないけれど、嗅覚の鋭さだけには自信があった。
それに、緋那ちゃんが私に嘘をつくはずなんてない。
灰崎くんが冗談でも言っていない限り、カガミの手元にあるのは白河さんのネクタイのはずだ。
《それに、火神が白河のだって認めた》
《ねえ、そっちで何が起こってるの?》
《灰崎が火神のネクタイに気づいてややこしいことになってる。そっちこそ、黒子と火神がエンゲージしたってどういうことだ》
「和泉っち! おはよー!」
緋那宛のメッセージを打とうとした瞬間、上半身が温かいものに包まれて肝をつぶす。
視界の端にさらりとした金髪が映る。一瞬シャンプーのいい匂いにどきりとして、
「き、黄瀬くん!?」
後ろから自分に抱きついてきた、その香りの持ち主にまた驚いた。
「わわわわわ、近い! 近いよ!!」
「いやー、いい匂いしたんでつい」
「つい、じゃないってば~!」
「ごめんごめん」
スマホを切って軽くぽかすかと叩けば、名残惜しそうに黄瀬が上体を離す。
「赤司っちからボディーガード頼まれたんで、和泉っちの近くにいつでもいられると思うと、テンション上がっちゃって」
「もう……」
黄瀬くんのいつも通りさに、少しだけ心が軽くなるのを感じた。