第3章 水泡に口付ける
「和泉」
やっとのことで吐き出した声は、妙に掠れていた。
「……皆元和泉、です」
「そうか、やはり君が」
口の中の水分が飛んでしまって、舌がうまく回らない。
不意に足腰の力が抜けて、しゃがみ込みそうになった和泉を、紫原が咄嗟に支える。
「和泉!」
「あ、お願いしていいー?」
「え、おい、紫原」
和泉に駆け寄ると、紫原にぽいっと和泉を預けられ、緋那は慌てた。
気を取り直して赤司に食ってかかろうとした緋那より先に、緑間が静かに口を開く。
「……どういうことか、説明してもらおうか」
「なんか、赤ちんね、記憶喪失みたい」
何故か張本人よりも先に答えた紫原が、「そのことで偉い人と話してて遅れちゃったんだよねー」と付け足す。紫原も付き合わされていたらしい。
「その割には、きちんとオレらのこと覚えてたじゃねぇか」
「そうだな、記憶喪失と言うと、些かの語弊があるね」
青峰の突っ込みに、とても記憶を失っているとは思えない落ち着きで赤司が返した。
「一定の期間の記憶のみが混線や欠落しているといったほうが、より正確だろう」
「……原因は冬の襲撃だな」
オオサンショウウオのぬいぐるみを抱えなおして、緑間が眼鏡のブリッジを上げる。
「ああ、犯人になにかされたようでね。体調が落ち着いた頃に玲央と整理してみたが、どうやら襲撃の二月程前からの記憶が曖昧になっているらしい」
「襲撃付近の記憶はどうなのだよ」
「ほとんど覚えていない。パーティーがあったことすら、後で聞いて知ったよ」
「てことは、だいたい去年の体育祭の頃くらいからの記憶が曖昧、ってことだよね?」
心配そうに和泉に寄り添ったまま、桃井がそう尋ねる。
その質問でようやく我に返った和泉も、のろのろと顔を上げ、赤司をじっと見つめた。
「和泉ちゃんや緋那ちゃんの事はどれくらい覚えてるの?」
「そうだな」
赤司は少し考え込む素振りを見せた。
「まず小原緋那、君は中等部の入学当初から何かと勝負を挑んできていたから、覚えているよ」
「あっそ」
「そして皆元和泉。君は僕の恋人だと玲央から聞いたが……ほとんど記憶にない」