第3章 水泡に口付ける
「やはりか」
納得したように呟いて、ウサギくん(仮)は和泉から身を離した。
「そういえば、何か言いかけてなかったかい?」
「いいえ、なにも……」
「なら良いんだが」
まさか『彼氏が居るのでごめんなさい』と、一方的にフろうとしていましたなんて、恥ずかしくて言えない。
「どうして、私が迷子だってわかったんですか?」
その話題から離れたくて、和泉は適当な質問をしてみる。
「ここは穴場みたいなものでね、滅多に人が通らないんだ」
「そうなんですか」
「だから君が通りかかったのには驚いたよ」
道理で、待っていても誰も通らないわけだ。
今度は和泉が納得する番だった。
「しばらくして、君が戻ってきた時もびっくりしたな」
その言葉に、和泉はぐっと詰まる。
ベンチで休憩するまで、この辺をうろうろしていたことは確かだった。
しかし、その間、広場には誰もいなかったはずだ。
「ひょっとして、どこかから見てたんですか」
「もちろん」
寮の部屋からだけど、とウサギくん(仮)は笑う。
「何度も広場に戻ってくるから、おかしいと思って出てきたんだが……案の定だったみたいだな」
穴があったら入りたいと、ここまで思ったのは、ちょっと生まれて初めてかもしれない。
が、鞄には穴掘りに適した物が入っていないので、和泉はやむなく断念した。
この場を逃げ出すことも考えたが、闇雲に走ったところで広場に戻ってくることはわかっていたので、そちらも諦めた。
「それで、君はどこに行きたいんだい?」
「時計台までです。待ち合わせしてるんですけど……」
自分でも、声が小さくなるのが分かった。
単独行動はやめよう、と心に誓う。
この様子では、もう間に合わないだろう。
「そうか、引き留めてすまなかった」
「いいんです。どっちにしろ間に合わなかっただろうし」
しょぼくれた様子の和泉に待ち合わせの時間を聞くと、彼は胸元の懐中時計を外し、文字盤を確認した。
「いや、まだ間に合うさ」
静かな自信に満ちた声に、和泉は驚いて顔を上げる。
「君の時間を潰したお詫び、とでも思ってくれないか」
当のウサギくん(仮)は、悪だくみを閃いた猫のような、そんな笑顔をしていた。
「ひとつ、とっておきの近道がある」