第3章 水泡に口付ける
「どうしよう……」
寮区の中の、軽く開けた広場のベンチに座って、和泉はうなだれていた。
さっきから、校舎の時計塔のほうに向かう道を選んで歩いているはずなのに、気がつくと全く別の方向に逸れてしまっている。
それでも歩いた末に、なんとか辿り着いたのが、ここだった。
噴水がある円形の広場の中央から、放射線状に八本の道が延びている。
こういう場所ならば、道を知っている人間が通りかかりそうなものとも思ったが、不思議なことに、数分待ってみても誰も現れることはなかった。
噴水の水音だけが、和泉を死んだような静寂から辛うじて守っている。
時間的に入学式はまだ始まっていないはずだし、この寮区ではそれなりの人数が生活している。
何かしらの生活音が聞こえてきてもおかしくない状態にも関わらず、辺りは異様な静けさが充満していた。
昔から迷子になることは何度もあった上に、もともと方向音痴も指摘されていたのだが、こう改めて痛感させられると、流石に泣きたくなってきた。
それに、と和泉は手元のスマホに視線を落とす。
「みんな待ってるだろうなぁ……」
朝日を反射して鏡のようになっている画面に、不安げな自分の顔が映った。
さっきから緋那をはじめ、友人に連絡を取ろうとしているのだが、電波が悪いとかで不発に終わっている。
もう一回連絡してみて、それでもだめなら時計台を目指して……ああもう、とにかく自力で何とかしなくっちゃ。
うんうん、と頷いて、和泉は一人、改めて決意を固めて
――凍りついた。
視界が薄暗くなり、画面の中の不安げな表情が、一瞬で掻き消える。
和泉の表情が凛々しいものになったからでは、ない。
「ねぇ」
スマホの向こう、石畳で舗装された地面。
自分のローファーの爪先がくっつきそうな位置に、こちらを向いた誰かの足が見える。
「誰が待ってるって?」
楽しげな声が、頭上から降ってきた。