第3章 水泡に口付ける
「……やっぱショーゴくんは来ないみたいっスよ」
「そう。来たくなきゃ来なくていいだろ」
緋那がそう言い捨てると、片耳にピアスをした青年は、「そっスね」と返した。
スマホをしまって、周囲のギャラリーに営業スマイルを振りまくその青年と、途端に大きくなる黄色い声援に少々うんざりする。
芸能人という商売が大変なのはわかるが、そういうのは自分がいない時にしてほしい。
絡みつくギャラリーの視線の鬱陶しさに、緋那は一際大きなため息をついて、その元凶を見た。
人気モデルの黄瀬涼太。
正直あまり関わり合いになりたくなかった人種だが、和泉を通じて知り合ってしまって以降、何かと向こうから構ってくるようになった。
そこから芋づる式に『キセキの世代』と関わることになるとは、去年の今頃は思っていなかったのだが、人生とは分からない。
そして今、この帝光学園高等部の入学式当日なわけだが……
「ねぇ、赤司はまだ来ないわけ?」
学園のシンボルとも言える時計台の下で、白ブレザーにスラックス姿の緋那は憤然として言い放った。
年末から二ヶ月ほどかけて死の淵から生還した挙げ句、入学式の前に一度顔見せしようじゃないかと発案した張本人の遅刻は、流石に見過ごせるものではなかった。
今の台詞で、通行人やギャラリーの視線が自分に集まるのが分かったが、そんなことに構っている場合ではない。
式典に遅刻しやしないかと苛立つ緋那に、黄瀬とはまた別の意味で周囲の注目を集めている青年、緑間が尋ねる。
「安心しろ、まだ式が始まる時間まで余裕はあるのだよ。それに、皆元の姿も見当たらないが」
「和泉は後から来るって……あ」
道に迷ってるかもしれない。
緑間の小脇に抱えられた、のっぺりとしたオオサンショウウオのぬいぐるみを見た途端、唐突にその可能性を思い出した緋那が、後悔に襲われたその時だった。
「……あれ、真ちゃん?」
周囲の喧噪のなか、やけに通る声がした。