第1章 1
「緋芽ちゃん」
「なぁに?皇」
「カバン、持つよ」
並んで歩く彼女の右手から鞄を自分の手の中へと取り上げれば。
ふわりと。
隣で彼女が微笑んだ。
「おかえりなさいなせ。緋芽さま。皇さま」
「お鞄、お持ち致します」
「うん、ありがとう」
2人揃って無駄に広い玄関を抜ければ。
何人か笑顔でそう、声を掛けられた。
促されるままに2人分の鞄を渡す。
「こーう!!プール行こ!プール!」
「ええ?今?」
「暑いもん。泳ぎたいの!」
早くもバタバタバタバタとプールへと向かう緋芽ちゃんの背中にため息ついて。
「すぐ必要なものご用意させます」
「うん、お願い」
それでも俺は、やっぱり『姫』には逆らえないんだ。
鷹宮 緋芽。
鷹宮 皇。
鷹宮財閥御令嬢と、御曹司。
これが今の俺たちの肩書き。
滅多に顔を合わせることのない両親にこの家で愛情を注いでもらった記憶は全然ない。
むしろ今すれ違ったとしても気付かずに通り過ぎる自信あるくらいには、会ってない気さえする。
俺にとっての家族は、緋芽だけ。
緋芽だけが、全てだ。
緋芽のためなら俺はたぶん、殺人だって躊躇しないよ。
「はい、緋芽ちゃん」
プールで優雅に泳ぐ緋芽を眺めること、数10分。
ようやく緋芽は、満足したように水面から顔を出した。
「ありがとう、皇」
タオルを渡せば。
当たり前のようにそれを受け取って、にこりと微笑む愛しい愛しい、最愛の人。
「皇は、泳がないの?」
「緋芽ちゃん見てる方が好き」
「またそんなこと言って。ほら、水の中入るよ」
「緋芽ちゃんも?」
「皇ひとりじゃ、溺れちゃうかもしれないじゃん」
「…………うん」
あーあ。
せっかく緋芽の泳ぐ姿、見てたのにな。
水着も。
水に濡れた肌も。
1日中見てても飽きないのに。
きっと緋芽は、そんな俺の邪な思いなんて知らない。
ただ純粋に。
泳げない俺の面倒を見るつもりで。
暑い中見てるだけの俺に気を使って。
水の中に引き入れただけ。
それだけのことだ。
でもね、緋芽。
俺、ちゃんと泳げるよ。