第37章 私たちの牙 後編
ああ。 そもそも、琥牙には見えてる世界が私たちとは違うんだ。 そう思った。
供牙様。 牙汪。 もしかすると琥牙の父親。
そんな人たちには、彼の感覚を共有出来たのだろうか。
けれども、そんな存在は今生きてる世界の、他に在りようがない。
以前に闇の中で垣間見た、孤独過ぎる彼の世界のような。
琥牙がそこから目を逸らしたがったのはそんな理由もあったのだろうか。
苦痛のあまり涙を流して地面を這いつくばる卓さんの、膝は逆方向に曲がっていた。
逆方向、というと語弊がある。
「えげつな……膝蓋グチャグチャだぜあれ」
もはや残りの細い骨と皮膚でしか繋がってない。 そんな壊れ方。
見ていられなくって、私がそこから目を逸らす。
この場で平静なのは雪牙くんのみだった。
伯斗さんや浩二でさえ、動揺を隠せない雰囲気の中、琥牙が淡々と『作業』をこなしていく。
「野生の動物ならこの時点で終了なんだけど。 一応腕も、もらっとくね」
彼が逆方向に卓さんの手を取り、その瞬間、さすがに私は自分の耳も塞いだ。
「やっ…止めえっああアアアアアア!!!」
そうしていても脳内に入り込んでくる悲鳴が収まり、耳から手を離したときに伯斗さんが口を開いた。
「確かに関節の破壊は完全に戦意喪失させるには手っ取り早いのですが……」
「見た目にも優しいしな! いちお女の前だしよ」
「いや絶対優しくはないだろ……いっそぶっちぎった方がマシじゃねぇの」
「そんなことしたら楽に死んじゃうでしょ」
そう呟く琥牙が、片脚と片腕をほぼ失い、半狂乱に近い卓さんの頭を無慈悲に踏み付ける。
死なない。 ということは、大きな血管や神経は生きてるのだろうか。
痛みにのたうつことさえ許されない。
そんな彼の様子に、誰もなにも言えない。
「狼の端くれなら少しは分かるよね? あんたはこともあろうに、命より大事なおれの伴侶を傷付けたんだよ。 内臓はカラスにでも食べさせようか? その辺の木に吊るしてさ」
「ひぃぃイイっっ!! いやああああああっ」
「琥牙!! もういいから、やめなさい」
咄嗟に出した私の大声にピタリと動きを止め、それから、彼がゆっくりと両目を閉じた。